大判例

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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)13407号 判決

原告

X1

外六二名

右訴訟代理人弁護士

福島瑞穂  内田雅敏  大口昭彦  栗山れい子  虎頭昭夫

後藤昌次郎  倉田哲治  遠藤誠  杉本昌純  保持清

葉山水樹  糖谷秀剛  近藤俊昭  水上学  三上宏明

小泉征一郎  庄司宏  栗山和也  伊神喜弘  近藤勝

富永赳夫  分銅一臣  大川宏  浅井正  中根洋一

鈴木一郎  井上庸一  寺崎昭義  坂入高雄  鈴木武志

新美隆  高橋耕  吉田健  丸井英弘 五百蔵洋一

戸谷豊  藤沢抱一  山崎恵  内藤隆  芳永克彦

赤松範生  鈴木宏一  中村順英  中西義徳  澤本淳

坂井眞  海渡雄一  鬼束忠則  佐竹俊之  前田裕司

山口廣  井上豊治  的場徹  清井礼司  大谷恭子

黒田純吉  幣原廣  冨永敏文  遠藤憲一  飯田正剛

辻恵  秋田一恵  内山成樹  内橋裕和  小島啓達

井上章夫  北村明美  阿部裕行  一瀬敬一郎  城加武彦

竹岡八重子  水上康平  小川光郎  有吉春代  千葉景子

廣瀬理夫  薦田伸夫  荘司昊  本田兆司  酒井紳一

八重樫和裕  中島俊則  福武公子  藍谷邦雄  武内更一

葉山岳夫  大室俊三  里見和夫  竹之内明  池宮城紀夫

中北龍太郎

原告(亡X'64訴訟承継人)

X64

右訴訟代理人弁護士

内田雅俊  遠藤憲一  大口昭彦  栗山れい子  虎頭昭夫

幣原廣 武内更一 福島瑞穂

被告

右代表者法務大臣

松浦功

右指定代理人

植垣勝裕

外一名

被告

東京都

右代表者知事

青島幸男

右指定代理人

西道隆

外三名

被告

乙外二名

右訴訟代理人弁護士

山下卯吉

武藤正敏

金井正人

主文

一  被告東京都は、原告番号16、原告番号43、原告番号44、原告番号47、原告番号52、及び亡X'64訴訟承継人原告番号64のそれぞれに対し、各金一〇万円及びこれに対する昭和六三年一月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  第一項記載の原告らのその余の各請求及びその余の原告らの各請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、第一項記載の原告らに生じた費用の各五〇分の一及び被告東京都に生じた費用の六四〇分の六を被告東京都の負担とし、第一項記載の原告らに生じたその余の各費用、被告東京都に生じた費用の六四〇分の九並びに被告国、被告丁、被告乙及び被告丙に生じた費用の各六四〇分の一〇ずつを同原告ら各人の負担とし、その余の原告らに生じた費用並びに被告東京都、被告国、被告丁、被告乙及び被告丙に生じた各費用の六四〇分の一〇ずつを同原告ら各人の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

ただし、被告東京都が、第一項記載の原告らそれぞれに対し各金五万円の担保を供するときは、右仮執行を免脱することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告らそれぞれに対し、各自、各金一〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、昭和六二年一一月二三日旅券法違反(旅券不実記載及び行使)の被疑事実によって逮捕されたA及びその後同法違反の被疑事実によって逮捕状の発せられたBに対する同被疑事実の捜査のため必要があるとして発付された捜索差押許可状によって、同年一二月から昭和六三年一月にかけて自宅等の捜索を受け、一部の者は差押えをも受けた原告らが、同令状の請求をした警視庁所属の司法警察職員、これを発した東京簡易裁判所所属の裁判官若しくは同令状を執行した警視庁等所属の司法警察職員が、故意又は過失によって違法な職務の執行をし、これによって原告らは、その住居等の平穏、プライバシーの権利及び所有権が侵害されて精神的損害を受けたとして、裁判官の職務執行につき被告国に対し、司法警察職員の職務執行につき被告東京都に対し、国家賠償法に基づき慰謝料の請求をすると共に、右令状を請求した司法警察職員個人及びこれを発付した二名の裁判官個人に対して、不法行為に基づく同様の請求をした事案である。

二  争いのない事実等

1  Aは、昭和六二年一一月二三日、旅券法違反(旅券不実記載及び行使)の被疑事実によって警視庁において逮捕され、同年一二月一二日、右罪名により、東京地方裁判所に起訴された。また、Bは、同月二九日、Aの右旅券法違反の被疑事実の共犯として逮捕状が発付され、昭和六三年六月八日、逮捕された。

2  被告丁は、昭和六二年一一月当時、警視庁公安部公安第一課所属の司法警察職員(警部)であったが、A及びBの右旅券法違反被疑事実の捜査のため必要があるとして、東京簡易裁判所裁判官に対し、昭和六二年一二月一一日に別紙捜索差押箇所番号1から9まで、同月一九日に同番号12、同月二五日に同番号10、11、13から33まで、40及び44並びに昭和六三年一月二六日に同番号34から39まで、41から43まで及び45から54までの各場所について、それぞれ捜索差押許可状の発付を請求した。

3  被告乙及び被告丙は、右各令状が請求された当時、東京簡易裁判所の裁判官であったが、被告乙は、昭和六二年一二月一一日及び同月二五日に別紙捜索差押箇所目録1から11まで、13から33まで及び40の各箇所に対する捜索差押許可状を発付し、被告丙は、昭和六二年一二月一九日及び昭和六三年一月二六日に同目録12、21、34から36まで、38、39、41、42、45から50まで及び54の各箇所に対する捜索差押許可状(以下、右各捜索差押許可状を「本件各令状」と総称する)を発付した。

4(一)  本件各令状においては、「差し押えるべき物」として、「本件に関係ありと認められる 1 日本赤軍及び同軍の支援団体等の組織上の主義・主張・方針及びこれらを煽る機関紙(誌)ビラ類の文書及び原稿・原版・録音テープ、メモ類 2 計画・指令・通達・通信・連絡・調査・報告類の文書及びこれらの原稿・メモ・写真・ネガ・録音テープ・フロッピィディスク類 3 会議録・議事録・金銭出納簿・預金通帳・領収書・伝票・交付通知書類の文書簿冊 4 組織編成・戦術・犯行手段・方法等に関する文書・簿冊・暗号・図表及び日誌 5 旅券申請に使用した戸籍謄本・住民票・健康保険証等の身分を確認できるものの入手経路記載のメモ類 6 戸籍謄本・住民票・健康保険証等の身分を確認できるもの及びその写し 7 航空券・旅行申込書・旅行計画書・渡航先記入の地図類・交通機関の時刻表等出入国を裏付ける文書類・外国紙(貨)幣・邦貨・外国宿泊を裏付ける領収書等 8 葉書・手紙・住所録・電話帳・電話メモ等の文書 9 日本赤軍構成員との関係を明らかにする文書・物件」との記載がある。

(二)  また、本件各令状のうち、昭和六二年一二月一一日、同月一九日及び同月二五日各請求によって発付したものは、被疑者をAとし、犯罪事実の要旨を「被疑者Aは、C、D、E、Bら数名と共謀のうえ、C名義を冒用しAの写真を貼付した偽名義の一般旅券を入手しようと企て、昭和六二年七月一六日、沖縄県那覇市西三丁目一〇番一一号所在沖縄県旅券事務所において、沖縄県知事を経由して外務大臣に対し、香港等を主要渡航先とする一般旅券の発給を申請するにあたり、渡航者たるAの氏名がCであり、その本籍は同県中頭郡北谷町字吉原五九一、生年月日は昭和二八年八月三一日である旨の虚偽の記載をし、右Aの写真を貼付した一般旅券発給申請書を同人の写真及び他の必要書類とともに前記旅券事務所係員に提出し、そのころ、外務大臣官房領事移住部旅券課に右申請書を回付させて公務員に虚偽の申立をし、よって、同六二年七月一八日、情を知らない同課係員をして、右申請書等に基づき、外務大臣の発行する一般旅券に右写真を貼付させるとともに、右写真の人物が前記本籍、生年月日のCである旨の不実の記載をさせて一般旅券(旅券番号〈略〉)を発給させ、同月二七日ころ、前記旅券事務所において、不正の行為によって右申請にかかる右旅券の交付を受けたうえ、昭和六二年一一月二一日、香港から入国するに際し、千葉県成田市所在の新東京国際空港において入国審査官に対し右旅券を呈示してこれを行使したものである。」とするものであり、昭和六三年一月二六日請求によって発付したものは、被疑者をBとし、犯罪事実の要旨を「被疑者Bは、A、C、D、Eら数名と共謀のうえ、C名義を冒用しAの写真を貼付した偽名義の一般旅券を入手しようと企て、昭和六二年七月一六日、沖縄県那覇市西三丁目一〇番一一号所在沖縄繩県旅券事務所において、沖縄県知事を経由して外務大臣に対し、香港等を主要渡航先とする一般旅券の発給を申請するにあたり、渡航者たるAの氏名がCであり、その本籍は同県中頭郡北谷町字吉原五九一、生年月日は昭和二八年八月三一日である旨の虚偽の記載をし、右Aの写真を貼付した一般旅券発給申請書を同人の写真及び他の必要書類とともに前記旅券事務所係員に提出し、そのころ、外務大臣官房領事移住部旅券課に右申請書を回付させて公務員に虚偽の申立をし、よって、同六二年七月一八日、情を知らない同課係員をして、右申請書等に基づき、外務大臣の発行する一般旅券に右写真を貼付させると共に、右写真の人物が前記本籍、生年月日のCである旨の不実の記載をさせて一般旅券(旅券番号〈略〉)を発給させ、同月二七日ころ、前記旅券事務所において、不正の行為によって右申請にかかる右旅券の交付を受けたものである。」とするものである(以下、これらを「本件被疑事実」という)。

5  本件各令状に基づき、昭和六二年一二月一二日に別紙捜索差押箇所番号1から9まで、同月二六日に同番号10から32まで、40、44、昭和六三年一月一四日に同番号33、同月二九日に同番号34から39まで、41から43まで、45から53まで及び同月三一日に同番号54の各場所に対する捜索差押許可状の執行がなされた。同番号2、4、7、15、16、18、29、34、40、42、48、49及び51から54までの各場所の捜索差押は、警視庁から各場所を管轄する府県警察に対して捜索差押の嘱託がなされ、各府県警察の警察官によって行われ、その余の場所の捜索差押は警視庁の警察官によって行われた(以下、これらを「本件捜索差押」という。)。

6  原告らは、本件各令状により捜索を受けた別紙捜索差押箇所記載の各場所を住居又は事務所等として居住し又は使用しているところ、別紙押収物一覧表の「場所番号」欄記載の各場所において、「押収物の有無と種類」欄に記載された各物件について差押えがなされた。

7  なお、承継前亡原告X'64は平成七年六月八日に死亡し、原告番号64が相続によりX'64の地位を承継した。

三  争点

1  本件各令状の発付を請求したことが違法であるか否か

(一) 本件被疑事実と本件捜索差押とに関連性があったか否か

(二) 本件捜索差押の必要性があったか否か

2  本件各令状を発付したことが違法であるか否か

3  本件各令状の執行の際警察官に違法な職務の執行があったか否か

(一) 令状の呈示の不十分

(二) 電話の受発信の禁止

(三) 捜査官による写真撮影

(四) 立会権の侵害

(五) 暴言と威迫的態度

4  本件各令状による差押えが違法であるか否か

5  本件各令状を請求し、又はこれを発付した公務員の個人責任の有無

四  争点1(本件各令状の発付を請求したことが違法であるか否か)についての当事者の主張

1  原告ら

本件各令状請求は、以下のとおり、被告丁ら警視庁警察官が客観的事実に基づかない誤った見込みによって行ったものであって、原告らが行っている様々な運動についての情報収集や嫌がらせをする目的によるものであるから、故意又は重大な過失による違法な職務の執行というべきである。

(一) 第一に、本件各令状請求に係る本件被疑事実と本件捜索差押との間には、関連性がない。

(1) 刑事訴訟法は、被疑者以外の第三者の住居その他の場所に対する捜索は、押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合に限り行うことができると規定し(二二二条一項、一〇二条二項)、捜索のような第三者に対する強制力の行使を、その者の受ける不利益を考慮してより謙抑的に行うことを予定している。また、捜査官が裁判官に対して令状の発付を請求するに際しては、差し押えるべき物の存在を認めるに足りる状況があることを認めるべき資料を提出しなければならないとされている(刑事訴訟規則一五六条三項)。したがって、捜査官が第三者の住居その他の場所に対する捜索差押許可状を請求するには、その第三者と被疑者との間に関連性があり、右第三者の住居等に当該被疑事実に関する証拠物が存在する高度の蓋然性があることの疎明資料を提供することが要求され、かつ、右被疑事実の証拠として差し押えることにつき十分な必要性が認められるものでなければならない。

(2) 本件被疑事実は、A及びBに対する旅券法違反に関するものである。その内容は、Aについてみれば、被疑者本人が他人名義の旅券を取得し、行使したという客観的外形的事実を内容とする被疑事実であり、また、Bについて見れば、Aの右行為に加担したというものである。

したがって、被疑者らが沖縄県那覇市の沖縄県旅券事務所に旅券申請手続をして他人名義の旅券の交付を受け、Aが新東京国際空港においてこれを行使したことが本件被疑事実であり、原告らの住所や事務所等は場所的にみて右の客観的外形的事実と全く関係がない。

仮に本件被疑事実に係る犯行の背景的事情にまで関連性の範囲を拡張したとしても、原告らの住所等との関連性は見当たらない。

(3) また、警視庁では、本件訴えに係る捜索差押箇所を含め、日本全国何百か所に及ぶ場所についても一斉に本件と同様の捜索差押許可状の請求をしている。しかし、本件被疑事実は、その性質上極めて秘匿性の高いものであり、日本全国何百か所それぞれに右事件に関する物証が存在する蓋然性はない。

(二) 捜索差押は強制捜査であり、犯罪の捜査をするについて必要があるときでなければ、することができないとされている(刑事訴訟法二一八条一項)。

本件においては、Aは昭和六二年一二月一二日に起訴されているし、Aの旅券取得に協力した疑いでEが逮捕されており、同人の供述から、Bに対する旅券法違反の被疑事実による逮捕状も出されている。また、名義を貸した者と名義貸しの仲介をしたといわれている者二名もあわせて逮捕されている。

このように、本件被疑事実に係る事件については、既に協力者が割り出され、捜査は一定程度進んでいたのである。つまり、Aについては、公判を維持するに必要な証拠が十分に備わっていたからこそ起訴されているのである。

起訴後の捜査が謙抑的であるべきことは、判例及び通説の認めるところであり、起訴後に、本件のような大量、画一的な捜索差押が行われたということは、前記犯罪捜査の原則から全く逸脱したものというほかない。

(三) 以上のように、本件において、捜査機関は、本件被疑事実との関係で捜索、差押えを行うという意図は全くなく、犯罪捜査以外の目的である情報収集や嫌がらせのために本件各令状の請求を行ったものであって、このような請求は、故意又は重大な過失に基づく違法な職務の執行といわなければならない。

2  被告東京都及び被告丁

(一) 本件各令状請求の経緯は次のとおりである。

(1) 警視庁公安部公安第一課は、昭和六二年一一月二一日、東京シティエアーターミナルにおいて、自称Cを、公務執行妨害の被疑事実に係る現行犯人として逮捕した。右被疑者はC名義の一般旅券を所持していたが、その後の捜査で、同人が実在するCとは別人であり、日本赤軍の最高幹部の一人と目されていたAであることが判明した。

(2) そして、Aは、右逮捕当時、ソウルオリンピックを非難する内容のメモ紙を飲み込もうとしたほか、昭和六二年一一月二四日東京発沖縄行便、同月二六日沖縄発大阪行便及び同年一二月七日大阪発ソウル行便の各航空券並びに日本円及び外貨等合計約五〇〇万円相当の金員を所持していた。また、その後の捜査で、Aは、同年一一月二六日に大阪入りして、数名の者と接触する予定であり、過去に外国への渡航歴があり、右逮捕時以前にも日本と外国を出入りしていたこと、右旅券は、日本赤軍メンバーのBが、貿易商のEに依頼して取得したものであり、本件旅券法違反被疑事実には、C、Dほか数名の者が介在していることが判明した。

(3) 日本赤軍は、世界革命の遂行を企図する組織集団であり、レバノン国にその組織の根拠を置き、偽造旅券を行使してヨーロッパや東南アジア等の諸国を移動し、各国の活動家と連携して、ハイジャック等の違法行為を行っている。

(4) 日本赤軍は、ハイジャック等を行う際、偽造旅券を行使して各地を移動しており、現にこれまでにも、日本赤軍のメンバーや関係者と見られる者による旅券等に関する事件が多数摘発されている。これらは、日本赤軍のメンバーや関係者による組織的、計画的犯行である。

(5) そして、本件当時においても、日本赤軍は、従来からの武装闘争の姿勢を堅持しており、有罪判決を受けて服役中の連続企業爆破事件の犯人の奪還やソウルオリンピックの開催阻止などを唱えていた。

(二) 本件被疑事実に係る事件の性格

(1) 旅券の不正取得やその行使は、日本国政府が対外的に国民の身元を証明してその保護を外国に依頼するという、旅券の有する重要な機能を侵害するものであり、これを発給した日本国政府の信用を失墜させる極めて重大な犯罪である。

(2) 日本赤軍は外国に拠点を置いており、そのメンバーは、有効な旅券を所持していないことから、必ず偽造旅券や他人名義の旅券を行使して移動している。

そして、前記のとおり、Aが現行犯逮捕される際にソウルオリンピックを非難する内容のメモ紙を飲み込もうとしたこと及び昭和六二年三月二四日に連続企業爆破事件の被告人Hらに対し、最高裁判所の上告棄却判決があり、死刑判決が確定したことなどの情勢に加え、日本赤軍が東アジア反日武装戦線を支持し、獄中の同志奪還を示唆する声明を発表していることに照らし、本件被疑事実に係る犯行は、ソウルオリンピックの開催阻止、東アジア反日武装戦線のメンバーの奪還と国内連絡等に向けた日本赤軍の組織的、計画的犯行であると思料された。

(3) また、旅券を取得する手続は、もともと極めて煩瑣なものである。指名手配され国際的にもその動向が注目されている国外の日本赤軍メンバーが他人名義の旅券を取得するためには、本人が本邦に入国して、少なくとも二回は都道府県の窓口に出頭することを要するほか、旅券発給申請に先立ち、旅券の名義人となる者の調査・選定、協力依頼、さらには名義人から戸籍謄本等旅券発給申請に必要な書類を受領することが必要となるなど、諸々の手順を経ざるを得ない。したがって、これらを秘密裡に成し遂げるには、長期的、継続的で綿密な事前計画と、これらを遂行する過程において、日本赤軍ないしその支援者等による組織的な支援活動が不可欠である。

このため、本件被疑事実に係る事件は、計画段階から旅券取得に至るまでの間に、指令、連絡、報告、打ち合わせはもとより、そのための文書のやりとりや人の往来、接触等が頻繁に行われ、多数の人物が関係するものであると思料された。

(三) 日本赤軍と密接な関係を有する団体

(1) 東アジア反日武装戦線

東アジア反日武装戦線は、昭和四九年から五〇年にけていわゆる連続企業爆破事件を起こしたが、日本赤軍は、これを支持し、昭和五〇年八月四日にクアラルンプール事件を、昭和五二年九月二八日にダッカ事件をそれぞれ起こして、拘禁されていた日本赤軍のメンバーや東アジア反日武装戦線のメンバーを奪還した。

日本赤軍によって奪還された東アジア反日武装戦線のメンバーは、その後日本赤軍と行動を共にしていると見られるほか、同戦線の拘禁中のその余のメンバーについても、「同志」と呼称し、戦いを支持する旨を表明している。このように、日本赤軍と東アジア反日武装戦線には、極めて密接な関係がある。

(2) 東ア支援連

① 「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議」と称する団体(以下「東ア支援連」という)は、昭和五〇年七月二〇日に前記連続企業爆破事件の被告人を支援することを目的として組織された「東アジア反日武装戦線を救援する会(準備会)」(別称「KQ通信社」)と称する団体が、昭和五六年三月二四日に「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕、控訴審とたたかう支援連絡会議」と名称変更し、さらに昭和五八年一月に現在の名称に変更したものである。

② 「東アジア反日武装戦線を救援する会」と称する団体は、当時、都市ゲリラ戦の展開等を主張する「腹々時計VOL2」、「腹々時計VOL3」との名称の本や反日武装闘争を主張する「反日双書」との名称の本等において連絡先となっていたほか、「支援連ニュース」という機関誌の発行、連続企業爆破事件に係る刑事事件の公判傍聴及び極左系の主催する各種集会における情宣活動を行い、死刑・重刑阻止に向けた集会やデモなどに取り組んでいた。

③ 東ア支援連の主たる活動家の一人であるIは、昭和五五年六月にレバノンに渡航したのをはじめ、その後も度々海外に渡航している。同人は、昭和五七年一一月二七日には、連続企業爆破事件の被疑者として指名手配され逃亡中のJに係る犯人隠避の被疑事実で、昭和五八年九月二二日には、爆発物製造所持事件の被疑者として逃亡中のKを鹿児島県の「無我利道場」と称する場所へ同道し、交通費の提供等をしたことによる爆発物取締罰則違反の被疑事実でそれぞれ逮捕された。

また、同じく東ア支援連の主たる活動家の一人であり、右Iと同居していたLは、昭和五一年及び昭和五二年当時、ハーグ事件及びクアラルンプール事件の公判をしばしば傍聴し、日本赤軍関係の刑事公判の経過に強い関心を寄せていたほか、同年七月の海外渡航をはじめ、ヨーロッパ、フィリピンなどへ度々渡航している。

これらI及びLの海外渡航の目的は、クアラルンプール事件で出獄し逃亡中の連続企業爆破事件に係る刑事事件の被告人Mら東アジア反日武装戦線のメンバーとの接触にあったと見られた。また、東ア支援連のメンバーは、東京拘置所在監中の東アジア反日武装戦線メンバーであるH、N、O及びPに接見し、差入れや文通をしたりするなど、綿密に連絡を取り合っており、同人らと獄外との窓口になっていると見られていた。

④ KQ通信社と称する団体は、ダッカ事件直後の昭和五二年一〇月、「九・二八反日帝獄中獄外闘争の成果を深化させるために」と題するパンフレットを発行し、ダッカ事件の支持を表明するH、O、Pらの声明文を掲載したほか、「さらなるたたかいを!」と題して、ダッカ事件を支持し、日帝打倒のためさらなる戦いを繰り広げていく旨を表明した。

⑤ 警視庁公安部公安第一課は、昭和五三年九月二五日、Qを東京都荒川区の「東アジア反日武装戦線を救援する会」との名称の団体の事務所において、旅券法違反の被疑事実によって逮捕したが、その際、同所から、ハーグ事件及びクアラルンプール事件等に係る刑事事件の被告人として勾留中のRの奪還を宣言するかのごとき昭和五二年六月一八日付メモ及び「桜端君(Rのこと)」との書き出しで「私たちは全力を挙げて君の『救援』を行います」等と記載している手紙を押収した。

なお、右メモの日付の約三か月後の昭和五二年九月二八日にダッカ事件が発生し、日本赤軍によるRの奪還が行われた。

⑥ 東ア支援連は、その機関誌「支援連ニュース」において、日本赤軍関係の各種集会への参加呼びかけ、東アジア反日武装戦線の獄中メンバーから日本赤軍への激励文の掲載、日本赤軍に奪還されて合流した東アジア反日武装戦線メンバーの実家訪問や同メンバーの家族からの手紙による近況紹介記事の掲載、日航機「よど号」乗取り犯人及び日本赤軍から東ア支援連に対して手紙が送付されていることの紹介等を行っている。

⑦ 以上のように、東ア支援連は、東アジア反日武装戦線と極めて密接な関係を有するほか、日本赤軍とも密接な関係を有することが明らかである。

(3) 三多摩パレスチナと連帯する会

① 「三多摩パレスチナと連帯する会」と称する団体(以下「三パ連」という)は、昭和五〇年九月一日にカナダから強制送還された日本赤軍関係者の原告番号4や同年九月三日にスウェーデンから強制送還された日本赤軍関係者のS(原告番号3の代表者)らが中心となって、昭和五一年一一月に結成された組織であり、パレスチナ解放闘争に連帯して共に戦うことを目的とし、定例会や各種集会の開催及び機関誌の発行等を行っている。

② 日本赤軍のメンバーであるTらは、昭和四九年、旧西ドイツのデュッセルドルフ市内の日本人商社員を人質として身代金を奪取することを企てたが、その実行のため偽造旅券によるフランス入国を図ったUが、同年七月二六日、フランス当局に逮捕されたため右犯行を中止するという事件を起こしており(日本赤軍における暗号名「ほんやく作戦」)、S及び原告番号4はこれに参加している。

③ 三パ連と「人民新聞社」との名称の新聞社の東京多摩支局の事務所は、同一建物内にあり、電話も同一番号である。また、S、原告番号4及び人民新聞社の社員が役員になっている印刷会社である株式会社※※印刷も、同一建物内にあって、電話を共用しており、これら三者は、極めて密接な関係を有するものと認められる。このうち人民新聞社は、その出版物に日本赤軍の声明等を頻繁に掲載し、日本赤軍と密接な関係を有している。

④ 三パ連は、日本赤軍の声明を集会の討論資料として活用していると思料されたほか、その機関誌に、日本赤軍によるメッセージや日本赤軍関係被告人の刑事公判予定、同関係者らによる日本赤軍を宣伝する映画の上映案内等を掲載している。

⑤ また、三パ連結成当時の代表者であるVは、レバノンにおいて、日本赤軍のリーダーであるTと接触したことが確認されている。

⑥ このように、三パ連は、日本赤軍のメンバーとして、その作戦に直接関わったと認められる者によって組織されていることに加え、日本赤軍に直接又は間接に関わる種々の活動を行っているのであって、日本赤軍と密接な関係を有することが明らかである。

(四) 原告らと日本赤軍との関係

原告らは、日本赤軍の一員としてその作戦敢行の一部に直接関わったと思われる者、日本赤軍のメンバーに接触したことがある者、日本赤軍と密接な関係を有すると認められる前記各支援組織の中で積極的な活動を行ったり、支援組織の連絡先となったり、支援組織やその発行する機関誌の連絡先となったりしている者、これらの者と交流のある者等である。

(五) 本件捜索差押場所に差し押えるべき物の存在を認めるに足りる状況があると認めた理由

本件被疑事実に係る犯行は、日本赤軍が、獄中の東アジア反日武装戦線のメンバーの奪還や目前に迫ったソウルオリンピックの開催阻止等の目的を持って、その最高幹部の一人であるAやBらによって、組織的、計画的に敢行されたものであり、したがって、本件には、前記B、C、Dらのほかに国内の日本赤軍メンバーや、その支援者、あるいはかつて日本赤軍のメンバーであった者やこれらの関係者等が何らかの形で関与していた蓋然性が極めて高いところ、原告らは、前記のとおり、日本赤軍と密接な関係を有し、日本赤軍にとっては最高の理解者ないし協力者であり、また、日本赤軍関係者と交流する機会を有する立場にあった者である。そのため、Aが原告ら宅を訪れたり、原告ら宅以外の場所で同人らと交流を持ったり、あるいはフィリピン在住のBと接触したり、また、AやBと接触を持った者が原告ら宅又はそれ以外の場所を訪れ、原告らと交流を持った蓋然性が高かった。したがって、原告らの自宅や事務所等本件捜索差押場所には、本件被疑事実に係る犯行の動機、目的、手段方法、共犯関係ないし背後関係等を解明する証拠資料が存在する蓋然性があると思料された。

(六) 本件捜索差押の必要性

本件被疑事実に係る犯行は、日本赤軍の構成員であるAやBらが、その組織の方針に基づき敢行した組織的、計画的犯罪であって、我が国の国際信用にも関わる極めて重大なものであるが、Aは、本件被疑事実に係る事件の取調べにおいて完全黙秘を通したため、いかなる動機、目的で、本件旅券を取得したのか不明であってその点の捜査が必要であるところ、本件各令状の「差し押さえるべき物」欄記載の各物件は、本件被疑事実に係る犯行の動機、目的、手段方法、共犯関係ないし背後関係等を明らかにするために欠くことのできない証拠であって、それを所持する蓋然性のある原告らがこれらを任意に提出することは到底期待し得ず、差押えによって確保しなければ容易に隠滅毀損されるおそれがあった。したがって、本件捜索差押を行う捜査上の必要性が存在した。

(七) 以上のとおり、本件各令状の請求は、いずれも適法になされたものである。

3  被告東京都及び被告丁の主張に対する原告らの反論

(一) 被告東京都及び被告丁は、東ア支援連などの市民団体を、日本赤軍と密接な関係を有する支援団体であると主張する。しかし、「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕、控訴審とたたかう支援連絡会議」との名称の団体のメンバーの中に日本赤軍と関係のある者がいるという断定に問題がある。

そもそも市民団体は、漠然とではあれ、何らかの目標を共有する者が集まるものであり、その会の趣旨に賛同する者であれば誰でも参加できるものであるから、たまたま、日本赤軍と関係のある者がその団体に参加していたとしても、そのことから、当該市民団体を日本赤軍と密接な関係を有する支援組織であると位置づけることには論理の大きな飛躍がある。

また、市民団体のメンバーも固定しておらず、常に変動しており、個々の会員の会の活動への積極性にも濃淡がある。そもそも「会員」というものを決めていない市民団体もある。

これを「東ア支援連」についてみると、ここに「支援」という意味がこの会への参加した者各人にそれぞれ異なって理解されており、単に死刑を廃止すべきであるという立場からのみ同会に関わっている者も存在している。

右のように、東ア支援連などの各団体を「日本赤軍と密接な関係を有する支援組織」と断定する被告東京都及び被告丁の主張には、合理的な根拠がない。

(二) 次に、被告東京都及び丁は、原告らがそれぞれこれら市民団体の開催する各種集会や学習会へ参加したり、日本赤軍等に関係する刑事被告人の裁判を傍聴するなどしていたとの事実を主張する。

しかし、これら集会等への参加や裁判の傍聴という事実があったからといって、その事実によってこれに参加した者が本件被疑事実の証拠物を所持していることを推認することはできない。そのような推認が可能になれば、これらの集会等へ参加した者たちは、およそ日本赤軍のあらゆる犯罪について、どのような証拠物でも所持していると推認され、いつでも家宅捜索を受けるべき立場に置かれることになるが、これは明らかに荒唐無稽な理論である。

しかも、集会や学習会に参加し、裁判を傍聴することは、それぞれ、参加し傍聴する者の学習をする権利、思想、信条の自由、政治活動の自由や表現の自由といった憲法上保障された権利に関わるものであり、また、裁判の傍聴を不利益な事実の推認の基礎とすることは、裁判の公開という憲法の大原則に抵触するものであって、これらの憲法上の保障を無視するような右被告らの主張は到底許されない。

(三) 加えて、右被告らの主張は、ある者と交流ある者を日本赤軍関係者とみなし、その者と交流ある者をも右関係者と認定するというように、無限の連鎖をもってあらゆる人々を日本赤軍関係者と断定していこうとするものであって、結局のところ、今回の捜索にあたり、原告らをその対象者として選んだことには、何ら合理的な根拠がなく、その選択は恣意的なものというほかはない。

五  争点2(本件各令状を発付したことが違法であるか否か)についての当事者の主張

1  原告ら

(一) 本件各令状の発付は、憲法三五条にいう「正当な理由に基づいて」なされておらず、刑事訴訟法二二二条一項、一〇二条二項及び二一八条一項にも違反する違法な職務の執行というべきであり、被告乙及び被告丙は故意又は過失によってこのような職務を行ったものである。

(1) 本件の各令状は、同一の日に多人数の対象者に対して一斉に発付されている。

前述のとおり、何百人もの人が、本件被疑事実に関する物証を所持しているというような蓋然性はない。また、本件捜索差押の対象とされた場所は、北海道から沖縄まで全国にわたっているが、本件被疑事実に関する物証が、このように全国各地にわたって存在する蓋然性は全くない。

結局のところ、本件においては、原告ら一人一人について当該物証を所持している蓋然性があるか否かの吟味がなされたとはいえないのである。

(2) また、原告らは、本件被疑事実に係る事件について全く身に覚えがなく、実際にも押収された物が全くない原告らがいること及び押収された物のほとんどが準抗告の申立直後に還付されたことから見ても、被告乙及び被告丙は、差し押えるべき物の存在を認めるに足りる状況があることを認めるだけの資料がなかったにもかかわらず、本件各令状を発付した疑いが強い。

とりわけ、昭和六三年一月二九日に捜索差押を受けた原告らは、それ以前に行われた捜索差押の際に押収された手紙や住所録等から住所や名前が判明したために捜索を受けたと考えられるが、これらの原告らと本件被疑事実との関連性はますます薄く、不十分なものとなっている。

結局、被告乙及び被告丙は、不十分な疎明資料を、十分吟味することなく、警察官の恣意を許すように、短時間に大量の令状を発付したのである。

(二) 裁判官の捜索差押許可状の発付行為についての国家賠償請求の可否については、以下のとおり、これを肯定すべきである。

(1) 裁判官がした争訟の裁判についての国家賠償責任に関する、最高裁判所第二小法廷昭和五七年三月一二日判決(以下「五七年判決」という)は、あくまで「争訟の裁判」についてのものであって、その判旨はそれ以外の決定、命令等に及ぶものではないと解すべきである。

五七年判決の採用する国家賠償法の適用を制限する見解の論拠は、確定した争訟の裁判について、その担当裁判官の行為の責任追及を認めることは、裁判の独立、確定裁判の法的安定性の要請から原則として許されないという点にあると考えられる。したがって、この判例は、あくまで確定した争訟の裁判に限って国家賠償法一条一項の適用を制限したにすぎないのである。

最高裁判所においても、決定や命令の違法を争った事例について、国家賠償法の適用があることを前提に、実質的判断を加えている(最高裁判所第二小法廷昭和四一年四月二二日判決民集二〇巻四号八〇三頁、同第三小法廷昭和二八年一一月一〇日判決民集七巻一一号一一七七頁、同昭和二五年五月二四日判決、同第三小法廷昭和三七年七月三日判決民集一六巻七号一四〇八頁等)。

「争訟」とは、権利又は法律関係の存否について当事者間に争いがある場合に、国家機関が、当事者の申立に基づき当事者双方の主張を聴いた上で公権力をもって右権利又は法律関係の存否を終局的に確定する手続を意味するのであり、司法警察員が資料を提供してした請求に基づき、他方当事者の主張を聞かないでされる捜索差押許可状の発付は、権利又は法律関係の存否の終局的確定を目的としない行政的性格を有する判断作用であって、争訟の裁判ということはできない。

(2) また、右の適用制限説の根拠自体にそもそも多大の疑問がある。

五七年判決は、「裁判官の独立」について、これは、司法権の行使にあたる裁判官が、具体的事件の裁判に当たって、全く独立で何者の指揮命令にも拘束されぬこと、法律的に他の国家機関の指揮監督を受けないことを意味するが、事後的にも他の何者によっても制肘されるべきではないことをも意味するとの定義を前提とする。しかし、この原則は、いかなる場合にも、裁判官が無答責であることを宣明したものではない。裁判官に対する懲戒処分や弾劾裁判所における罷免の裁判等の存在は、裁判官の職務上の義務違反が決して無答責ではないことを示すものであり、我が国の学説上、裁判官の独立に関する論述の中に、裁判の結果に対する無答責の原則を含めて論じたものは見当たらない。

したがって、裁判官の職務行為が故意又は過失により違法になされたとして提起された国家賠償訴訟において、当該行為の適法性を審理判断し、進んで有責性を認めることは裁判官の独立に何ら抵触するものではないと解されるのである。

また、確定判決について、その事実認定や法令の解釈適用そのものを別訴で争うのではなく、発生した損害の賠償を国に負わせるための契機として確定判決の事実認定等を攻撃することについては、これが許されなければ、損害を被った者に忍従を強いることになる。また、刑事判決には民事判決に対する拘束力がないとされているから(最高裁判所第三小法廷昭和二五年二月二八日判決民集四巻二号七五頁等)、損害賠償請求を受けた刑事被告人は有罪判決の事実認定等を争うことができるのに、刑事被告人自身は、原告となって有罪判決の事実認定等を争うことができないという結論になり、正当とはいえない。

(3) 国家賠償法一条は、従来権力的作用によって生じた損害についてはその賠償の請求が困難であったことを改めたものであり、他の条項と相まって、公の不法行為に対する救済はほとんど完璧を期することができることになったといわれている。

そして、「公権力」中に司法権が含まれることについても、国家賠償法制定時の政府委員が明確にこれを肯定する旨の答弁をしているのであるから、その適用は当然のことである。

我が国は、憲法一七条により、それまで、権力的作用については実質上国家無答責としていた原則を捨て、無制限の国家賠償責任の原則を宣言したことからすれば、国家賠償法一条の立法目的が、司法権を含む全ての公権力の違法な行使から国民の権利を救済、擁護することにあるのは明らかである。

(4) さらに、逮捕や捜索差押は、事前に市民側から弁明、反論をする機会を与えられず、秘密裡に一方的に行われるものである。そして、裁判官の判断に誤りがあれば、専断的、恣意的な強制捜査がまかり通り、プライバシー、人身の自由や住居の平穏が害され、犯人扱いされるなど重大な人権侵害が惹起される。このように、発生した重大な人権侵害に対し、国にその損害を賠償させることは、被害の救済と将来における適正かつ公平な令状主義の運営にとって不可欠のことである。したがって、裁判官の令状発付に対し国家賠償制度の適用を否定ないし制限することは、国家賠償制度の意義を根底から没却し、その精神に著しく反するものである。

右のように、裁判官の令状発付の権限が安易に運用され、令状主義が正しく機能しないとき、基本的人権の保障はたちどころに崩壊してしまう。令状担当裁判官に与えられた権限及びその職責は重大であり、それに見合う厳しい責任が課せられなければならない。しかも、刑事手続上、違法な令状発付を事前に制御する手続はなく、事後においても、発付された令状に基づいて捜索差押が実施されてしまえば、押収物の還付はともかく、令状発付の違法性は実際上争えないとするのが裁判実務である。令状発付行為自体に対する救済手段は、国家賠償法によるものを除けば、現行法上認められていないのである。

したがって、令状発付行為についても、争訟の裁判と同じように厳しい要件を設定することは、以上に述べた憲法の基本的人権の尊重、国家賠償制度の本旨から、許されない。

(5) 以上のとおり、本件のような捜索差押許可状の発付行為については、国家賠償法一条が適用され、裁判官の責任が問題となることは明らかである。

この点について、被告国は、捜索差押許可状の発付を裁判官の裁量行為であると主張しているが、強制捜査の要件は厳格に法定されているという刑事訴訟法の大原則からして、被告国の右主張は失当である。

2  被告国

(一) 被告国に対する本件請求は、被告乙及び被告丁がした本件各令状の発付行為が国家賠償法一条一項に該当するとしてされた国家賠償請求訴訟であるが、以下のとおり、裁判官の職務行為は、原則として国家賠償法一条一項の違法の問題を生じないというべきである。

(二) 五七年判決は、裁判官がした争訟の裁判について、上訴等の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項にいう違法な行為があったとして国に損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、右責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることが必要であると判示している。

右判決が、裁判官の職務行為に関して国家賠償を認める場合の違法性を限定した主たる根拠は、裁判官の独立を確保するところに存すると考えられる。すなわち、裁判官の職務行為については、司法権の行使という職務の特殊性にかんがみ、憲法上、裁判官の独立を保障し、直接的、間接的に裁判官の司法権行使に影響を与える可能性のある一切の事情を排除している。裁判官の独立という司法権固有の本質的見地からすれば、国家賠償についても裁判官の職務行為に関しては一定の免責を肯定し、国家賠償責任の追及を制限する必要がある。他の裁判所が、当該審理を担当した裁判官の認定、判断あるいは職務権限の行使に対して優位にする判断をし、当該裁判官の職務行為の違法性等を問擬することは原則として許されないといわなければならない。これは、典型的な争訟事件に関する職務行為はもちろんのこと、非訟的性格を有する場合においても、また、これらに必然的に随伴する手続行為や秩序維持に関する行為についても全て妥当するのであって、およそ裁判官の職務行為である限り、その違法を理由とする国家賠償請求は制限されるものと解すべきである。

(三) 本件各令状の発付は、裁判官の法律上付与された権限に基づくものであり、捜索差押に関する裁判としての職務行為である。かかる職務行為は、これを担当する裁判官の裁量に委ねられているのであり、その権限の行使については原則として違法の問題は生じないというべきであって、裁判官が違法又は不当な目的をもって許可状を発付したなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情が存しない限り、国家賠償法一条一項の違法の問題は生じないと解すべきである。

本件においては、右特別の事情は存しないから、被告国に国家賠償責任は認められないというべきである。

3  被告乙及び被告丙

本件各令状の発付は、正当な職務行為であって、何ら違憲、違法の点は存しない。

六  争点3(本件各令状の執行の際警察官に違法な職務の執行があったか否か)についての当事者の主張

1  原告ら

(一) 令状の呈示の不十分

原告らのうち、原告番号1、3、4、6から8まで、10、11、15、18、24、26、28、36から38まで、40から44まで、47、48、50、53から59まで及び62から64までの各原告に対する本件各令状の執行の着手の際、捜査官が、右原告ら本人又は立会人に対して行った令状の呈示は、手に持って示しただけであったり、あるいは手に持って読み上げただけであったりするなど、不十分なものであった。

捜索差押許可状の呈示について、刑事訴訟法は「差押状又は捜索状は、処分を受ける者にこれを示さなければならない」と規定するが(二二二条一項、一一〇条)、その趣旨は、一般に被処分者として法律上受忍すべき差押処分の範囲を予め了知させ、仮に、許可された範囲外の目的物について現実の差押えがなされたときは裁判所に不服を申し立てることができるようにし(四三〇条)、これらの仕組みを通じて、差押えの執行が裁判所の許可した範囲内においてのみされるべきことを厳格に保障しようとする点にある。

したがって、捜索差押令状の「呈示」は、右の趣旨に則した程度、方法において適正になされなければならないのであって、単に令状の存在を示すにとどまるなど、内容が十分に了知できないような態様によって呈示された場合には、その「呈示」は、刑事訴訟法の要請を満たさないと解すべきである。

前記原告ら又はこれに代わって立ち会った者に対する本件各令状の呈示は、いずれも令状の内容が十分に了知できないような態様によってなされており、刑事訴訟法の趣旨に違背する違法なものである。

(二) 電話の受発信の禁止

原告らのうち、原告番号2から7まで、9、12、13、15、16、18、20から23まで、25、26、29、31、32、34から37まで、39、41、46、48、52から57まで及び59の各原告に対する本件各令状の執行の際、捜査官は、右原告らに対し、電話の受発信を禁止し、又は制限した。

刑事訴訟法においては、捜査官は、捜索、差押許可状の執行にあたり、その付随的処分として出入禁止措置を採ることができる旨が規定されている(二二二条一項、一一二条)。右規定は、捜索差押の実施にあたり、その現場において現実的、物理的に支障を来たすような人物の出入りを制限できることとしたものである。

これに対し、電話の受発信は、その形態及び程度において、現実的な人の出入りとは様相を異にし、それ自体によって捜索差押活動の展開に、現実的かつ具体的な支障をもたらすものではない。被処分者又は立会人がかかってきた電話に対し適宜その応対をしても直ちに捜索差押を阻害することにはならないし、通話が捜索活動への集中を妨げるなどというのは、捜索差押の実態から乖離した空論であって、捜索差押がとりたてて静謐な環境の中で行われなければ実効性を挙げ得ないというようなことはない。また、電話によって通謀し、証拠を隠滅するおそれがあるという見解もあるが、そうした見解自体極めて希有な場合を想定したものであり、通常は、複数の捜査官に監視され、会話内容も了知されているような状況にあり、そのような中で証拠の隠滅ができるはずがない。結局、電話の受発信を認めても捜索差押について何らの障害も生じないのである。

他方、捜査機関による捜索差押は、私生活の平穏を侵害するものであり、これは捜査の必要からなされるやむを得ない侵害であるから、必要最小限に抑制されなければならない。電話の受発信というすぐれて個人の日常的な行為を捜査官の神経に障るという程度の主観的な理由から、強制的に禁圧し、制限することは許されない。

したがって、捜査官が前記原告らに対して行った電話の受発信の禁止措置は、憲法及び刑事訴訟法の趣旨に反し、違法である。

(三) 捜査官による写真撮影

原告らは、本件各令状の執行の際、捜査官により、無断で顔写真や室内等の写真を撮影された。

右写真撮影が捜索差押の一環としてなされたということであれば、個人の容貌等の写真撮影は、そのプライバシーの権利を侵害するものであるから、強制捜査と解すべきであり、原則として令状なくしては許されないものと解すべきである(刑事訴訟法二一八条二項)。

最高裁判所大法廷判決昭和四四年一二月二四日(刑集二三巻一二号一六二五頁)は、憲法一三条を根拠として「個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容貌、姿態を撮影されない自由を有する」と判示した上、①現行犯又は準現行犯的状況の存在、②証拠保全の必要性、緊急性、③手段の相当性の三要件を満たす場合には、捜査機関による写真撮影は許容されるとの判断を示しており、これは、捜索差押の際の写真撮影の可否及びその限界についても妥当すべきものである。

本件のように、捜索差押の実施にあたり捜査官において被処分者の容貌や室内の写真を撮影することは、証拠物の捜索ないし押収という目的の範疇には入らないし、また、本件では、いずれも捜索差押場所で被撮影者による犯罪行為が行われたわけではないので、犯罪捜査としての緊急性も必要性も存しないのであるから、他に格別にこれを許容する根拠が存しない限り、違法とされるべきである。

(四) 立会権の侵害

原告番号3、4、9、13、16、17、19、21から23まで、27から29まで、36から44まで、46、48、50及び56から63までの各原告は、捜査官が同時に複数の部屋の捜索を行ったため、立会権を侵害されたものである(ただし、原告番号17、44の原告らについては各右原告らの都合により立ち会えなかった部分があるものであり、同19及び58の原告らについては右原告らが当日留守であったために立ち会えなかったとするものである)。

法が被処分者の立会を認めた趣旨は、捜索差押活動を現実的、個々的に監視する機会を与えることによって令状の適正な執行を担保するためであるから、右のような立会の趣旨を形骸化させるような態様による執行は、法の趣旨に反するものであって違法である。

(五) 捜査官の暴言と威迫的態度

原告番号2から7まで、11から13まで、16、18、20から27まで、30から32まで、35から38まで、40から45まで、49、50、56、57及び59から62までの各原告は、以下のとおり、捜査官から威迫的態度をとられたり、強迫を受けたり、不法な実力行使を受けたりした。

捜索差押は、個人のプライバシーを突然侵襲する行為で、それ自体権力的、威迫的な行為なのであるから、相当の秩序と礼儀をもって行われるべきであり、捜査官が、ことさらに威迫的、脅迫的言辞を弄するなどは言語道断であるというべきである。

(1) 原告番号2は、捜索中、捜査官により、同原告に対しかかってきた電話を実力で切られた。

(2) 原告番号3は、代表取締役であるSが電話をかけようとしたところ、捜査官により大声で「電話をかけるな」と制止された。

(3) 原告番号4が捜査官の氏名を尋ねたところ、捜査官は、同原告に対し、また捜索に着手してもいないのに、「どっちみち押収品があるのだから後で分かる」と言って、高圧的態度で返答を拒否したほか、終始高圧的態度をとった。

(4) 原告番号5の妻が、捜索状況を写真撮影しようとしたところ、捜査官は、同人に対し、「奥さん、そんなことをするとためにならないよ」と言って脅迫した。

(5) 原告番号6が、入口で捜査官に対し捜索差押許可状を全部読ませてくれるよう求めたところ、捜査官四名は勝手に窓を乗り越えて室内に侵入した。

(6) 原告番号7が捜索中に電話に応対したところ、捜査官から「よけいなことはしゃべるな」と恫喝された。

(7) 原告番号11が押収品目録に立会人として氏名を書くことを拒否したところ、捜査官は、怒鳴って無理矢理これを書かせようとした。また、捜査官は、捜索中同原告に対し、多数の質問をし、同原告がこれに返答しなかったところ、「初めは普通……本性を現したな」と威迫した。

(8) 原告番号12が電話をかけようとした際及びかかってきた電話に応対しようとしたところ、捜査官によって実力で制止された。

(9) 原告番号13が捜索状況を写真撮影しようとしたら、捜査官によって大声で制止された。また、電話が数回かかってきたが、同原告が受話器を取ると、捜査官によって電話を切られた。

(10) 原告番号16が捜索中に電話がかかってきたので応対したところ、同原告が捜査のことに触れた途端に、捜査官によって実力で電話を切られた。

(11) 原告番号18は、捜査官がその氏名身分を明らかにしないまま室内に侵入してきたので、その状況を写真撮影しようとしたところ、捜査官がカメラを取り上げようとした。

(12) 原告番号20が、捜査官の来訪の際ドアを開けないで応対したところ、捜査官がベランダから室内に侵入しようとした。

(13) 原告番号21及び原告番号22が、捜査官に対し、捜索について質問したところ、「そんなのは答える必要はない。準抗告するんだろうが、そんなのは無駄だぞ」と大声で恫喝された。

(14) 原告番号23の同居人(女性)が電話をかけようとしたところ、捜査官が同人を突き飛ばし、さらに「身体検査をする」と言って恫喝した。同原告が捜査官に対し身体検査令状の呈示を求めたが、「そんなものはなくてもできるんだ」と言って、無理やり右同居人の身体検査をしようとした。

(15) 原告番号24が捜査官の来訪の際ドアを開けないで応対したところ、捜査官が「開けなければ壊すぞ」と言って激しくドアを叩き、かつ、蹴飛ばした。また、捜索中は電話がかかってきたが接受を禁止されたため、同原告の同居人がこれに抗議したところ、捜査官によって引き倒された。

(16) 原告番号25が捜査官に対し自分は日本赤軍とは全く関係ないと抗議したところ、捜査官は、「日本赤軍と関係があるかどうかを調べるんだ」と当該捜索差押の違法を自認する発言をし、開き直った。

(17) 原告番号26が捜索状況を写真撮影し、その状況をテープに録音していたら、捜査官から「公妨で逮捕する。やめろ」と大声で怒鳴られて、羽交い締めにされ、テープを取り上げられた。

(18) 原告番号27が捜査官の来訪の際ドアを開けないで応対したところ、捜査官が「開けなさい、警察です。……早くドアを開けろ」などとアパート中に聞こえるような大声で怒鳴り、ドアを激しく叩いた。また、捜査官が右(16)と同様の発言をした。

(19) 原告番号30が捜索状況を写真撮影しようとしてカメラにフィルムを入れ始めたところ、捜査官に制止され、「写せばカメラを押収する」と恫喝された。

(20) 原告番号31が捜査官の身分を確認しようとして警察手帳の呈示を求めたところ、捜査官は「見せる必要はない」と高圧的態度で答えた。また、同原告がフィルムの入っていないカメラで捜索状況を撮影する格好をしたら、捜査官が大声を出して制止した。

(21) 原告番号32が捜索中電話をかけたところ、捜査官によって実力で切られ、「今はソフトな対応をしているが、ハードな対応になるよ」と脅迫された。同原告は、そのためその後は電話をかけられなくなった。

(22) 原告番号35の妹が捜査官来訪の際ドアを開けると、捜査官は、「(原告番号35)さんですね」と決めつけて、いきなり顔写真を撮影した。

(23) 原告番号36及び原告番号37が捜査官の来訪の際ドアチェーンをかけたままで応対していたところ、捜査官は、「開けんかい」と怒鳴ったり、ドアを叩いたり、「ドアをぶち壊してやるから」と怒鳴ったりした。また、同原告らが捜索差押許可状の呈示を求めると、「何が権利や」、「いい加減にせんかい」と怒鳴った。

(24) 原告番号38が捜査官の来訪の際ドアを開けずにいると、捜査官は、ドアを激しく叩き、「窓を破る」と言って窓を叩き始めた。同原告が捜索差押許可状の呈示を求めて、これを手に取って読んでいたところ、捜査官は、「もういい」と言って途中でこれを取り上げた。

(25) 原告番号40は、捜索中、捜査官から「あなたが赤軍と関係があることは分かっているんだ、昔から」と言って威迫された。

(26) 原告番号41が捜査官の来訪の際ドアチェーンをかけたままで応対したところ、捜査官は、いきなりドアをはずし室内に侵入した。また、捜査官は、同原告の顔写真を撮影しようとしたので、同原告が顔をそむけたら、力づくで撮影しようとした。

(27) 原告番号42が捜査官の来訪の際、捜査官の読み上げた捜索差押許可状の内容が早口で聞き取れなかったため、令状を手に取って読めるよう要求したところ、捜査官は、「そんなことはいいんだ。早く開けろ。開けないと押し入る」と言って恫喝した。

(28) 原告番号43及び原告番号44が捜査官の来訪の際ドアを開けずに応対したところ、捜査官は、「早く開けろ。あんたも近所付き合いがあるでしょ」と言って脅迫した。

(29) 原告番号45は、捜査官から「幅広い交際ですね」とか「天皇制はどうですか、どう思いますか」と聞かれるなど、同原告の交際関係や思想について調査された。

(30) 原告番号49が捜査官の来訪の際ドアを開けずに応対したところ、捜査官は、「すぐに開けないと、近所の人に知れて困ることになるぞ」と何度も言って脅迫した。

(31) 原告番号50が捜査官の来訪の際ドアを開けずに応対したところ、約一〇分経過したころドアを力づくで開けられ、錠を壊された。捜査終了後に、外に来ていた同原告の友人らが捜査官の写真を撮影しようとしたところ、捜査官により取り押えられてカメラからフィルムを抜き取られた。同人はその際傷害を負った。

(32) 原告番号56及び原告番号57が捜索差押許可状を確認する前に、捜査官が室内に侵入した。また、捜査官は、かかってきた電話を勝手に切った。同原告らが捜索状況を録音しようとしたところ、捜査官によりテープレコーダーを力づくで止められた。

(33) 原告番号59が捜索差押許可状の確認をする前に、捜査官が室内に侵入した。また、捜査官がかかってきた電話を勝手に切った。同原告が捜索状況を録音しようとしたところ、捜査官によりテープレコーダーを力づくで止められた。

(34) 原告番号60及び原告番号61が捜査官を写真撮影しようとしたところ、捜査官から「やめないと、カメラとフィルムを没収する」と脅迫された。

(35) 原告番号62が捜査状況を写真撮影しようとしたところ、捜査官から「撮影をやめなければカメラを押収するぞ」と脅迫された。

2  被告東京都及び被告丁

(一) 令状の呈示の不十分について

原告らの主張は否認し、争う。

捜査官は、本件捜索差押にあたり、立会人に捜索差押許可状を手交して示しており、違法な点はない。

(二) 電話の受発信の禁止について

原告らの主張は否認し、争う。

右主張に係る原告らのうち一部については、そもそも電話の受発信の事実自体がない。

また、その余の原告らについては、捜査官が原告ら又は立会人に対し捜索差押中であるからその終了まで発信を待ってほしい、電話に出ないでほしい、又は捜索に関することは話さないでほしい旨を申し向けたところ、原告ら又は立会人はこれに従って電話の受発信を止めたものであり、強制にわたるようなことはなかった。

なお、立会人であった原告番号18の妻aが、捜索実施中に、いずれかに電話して捜索について話し始めたので、右捜索差押の執行責任者であった警視庁公安部公安課本田稔巡査部長が電話を止めるよう申し向けたが、aはこれに従わず、さらに捜索の状況等について話を続けたため、本田稔が右電話のフックを押して切ったということがあった。

(三) 捜査官による写真撮影

捜査官が、本件捜索差押に際し、写真撮影を行ったことは認めるが、これは、捜索差押の適法性を担保するために行ったものであり、撮影の対象も、捜索差押許可状を呈示している状況、押収物の発見状況及び押収品目録交付書を交付している状況等についてであって、違法な点はない。

(四) 立会権の侵害

原告らの主張は否認し、争う。

本件捜索差押は、立会人の立会を得て適法になされたものである。

(五) 捜査官の暴言と威迫的態度

原告らの主張は否認し、争う。

なお、捜査官が原告番号45の手紙や文書等を見て「幅広い交際ですね」と述べるなどして、同原告の交際関係について質問した事実はあるが、「天皇制はどうですか」と述べて思想調査をした事実はない。

七  争点4(本件各令状による差押えが違法であるか否か)についての当事者の主張

1  原告ら

本件において押収された物は、以下のとおり、本件被疑事実とは関連性がないものであり、これらの物が押収されたのは、情報収集のためであるとしか考えられない。したがって、これらの物に対する差押処分は違法である。

(一) 住所録及び名簿について

(1) これらが、本件被疑事実の構成要件該当事実を証明するものでないことは明らかである。

(2) 本件においては、捜索の対象となった者以外の親族や共同生活者の住所録や名簿をも有無を言わさずに押収している。捜査官が、関連性がさらに希薄となっているこのようなものを押収したことは違法である。

(3) また、住所録や名簿は、個人の交友関係を表すもっともプライベートなものであり、これらを所持し、誰にも見られないようにすることは、個人のプライバシーの権利(憲法三一条)に属する。したがって、これらの物に対する不当な押収は、著しいプライバシーの権利の侵害に当たる。

(二) 手紙及び葉書について

(1) これらが、本件被疑事実の構成要件該当事実を証明するものでないことは明らかである。

(2) また、これらは、極めてプライベートなものであるから、不当に押収したことは、憲法一三条に反するものである。

そして、手紙や葉書は、個人の内心の状態を表すものであるから、不当な押収は、思想信条の自由を保障した憲法一九条に反するものである。

(三) 雑誌について

(1) これらが、本件被疑事実の構成要件該当事実を証明するものでないことは明らかである。

(2) 雑誌が通常大量に配布されていることを考えれば、雑誌を押収できるということは、無差別に大量の人間を捜索差押の対象とできるということにつながるものである。

(3) また、雑誌は、憲法一九条で保障されている思想及び良心の自由、憲法二一条一項で保障されている表現の自由と極めて密接に関連しているものであるから、雑誌に対して安易に捜索差押がなされれば、これらの権利が侵害されることになる。

(4) 本件捜索差押における雑誌の押収が、押収すべき物が見当たらなかったことにより、いわばアリバイ的になされたものであったとすれば、これは、憲法三五条に違反し、許されない。

(四) ビラ及びパンフレットについて

(1) これらが、本件被疑事実の構成要件該当事実を証明するものでないことは明らかである。

とりわけ三里塚の集会へ勧誘する内容のビラを所持していることと本件被疑事実との間には、全く関連性がない。

(2) ビラは、雑誌の場合以上に、これを押収することに問題がある。

すなわち、雑誌は、直接購読するか、店頭で購入するのが通常の入手方法である。これに対し、ビラは、街角でも、また知り合いを通してでも、内容をよく知らなくても入手でき、しかも、無償で入手できるのである。したがって、このようなビラを押収するということは、無差別に大量の人間を捜索差押の対象とすることができるということにつながるものである。

(3) そして、ビラが、思想・良心の自由及び表現の自由と密接に関連するものである以上、本件被疑事実と関連性のないビラを押収することは、右権利の重大な侵害となる恐れがある。

(五) フロッピー等について

(1) これらが、本件被疑事実の構成要件該当事実を証明するものでないことは明らかである。

(2) これらの押収は、思想・良心の自由、表現の自由及びプライバシーの権利の侵害となる。

2  被告東京都及び被告丁

本件捜索差押による押収物の中に、原告ら主張の住所録、名簿、手紙、葉書、ビラ、パンフレット、フロッピーディスク等が含まれていることは認めるが、これらの押収が違憲、違法であるとの主張は争う。

八  争点5(本件各令状を請求し、又はこれを発付した公務員の個人責任の有無)についての当事者の主張

1  原告ら

(一) 公務員がその職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合、当該公務員個人が、被害者に対して、直接に賠償責任を負うか否かは争いのあるところであるが、以下のとおりこれを肯定すべきである。

(二) 国家賠償法の法的性格は、国又は公共団体の自己責任にあると解すべきである。

現代社会における法人の存在意義にかんがみて法人実在説に立脚すれば、法人自身の不法行為責任と機関個人の不法行為責任とは一応別問題といえるのであり、民法上機関個人又は被用者自身の被害者に対する直接責任を認めているのであるから、公務員に限って特別な扱いをすべき必然性はないといわなければならない。公務員個人にのみ職務上の加害行為に基づく損害賠償責任を免除するとすれば、それは何ら合理的根拠に基づかない差別的取扱いであり、憲法一四条にもとるものである。

(三) また、国家賠償法の立法趣旨ないし機能としては、公務員の違法行為による損害を回復するという純経済的作用だけではなく、公務員の職権濫用に対する国民による個別的な監督作用、さらに行政に対する一種の統制機能という側面があるということができる。

そもそも、国や公共団体がする損害の賠償は、税金その他により賄われるものである。そして、公務員に故意又は重過失がある場合、国又は公共団体が同法一条二項により当該公務員に対して求償権を有するといっても、それはあくまでも行政の内部問題であり、しかも、我が国の行政の現実において、求償権の行使が確実になされているかは明らかではないのであって、求償権の行使が確実になされているかは明らかではないのであって、求償権の行使の適正を保障する制度ないし意識は、行政内部においては極めて曖昧である。したがって、国民の公務員個人に対する直接の賠償請求は、公務員の職権濫用行為に対する数少ない有効な方法であり、国民による個別的な監督作用の具体的な表現であって、十分に尊重されなければならない。

そうすると、公務員に対する損害賠償の直接請求を認めることが、国家賠償法の理念に沿うものというべきである。

(五) 仮に公務員に対する直接請求を認めないとすると、公務員にとりわけ故意又は重過失のある場合にさえも被害者に対する責任を認めないことになる。しかし、これは必要以上に公務員を保護することとなるほか、かえって公務員の責任意識を希薄にしてしまうおそれがあり、公務員の職務執行の対象たる国民の権利侵害を誘発、惹起することとなる。

判例上、国家賠償法によって国又は公共団体が責任を負担すべき範囲について外形標準説を採り、公務員が私利私欲によって職権を濫用した場合にも、同法上の責任を認めている。このような場合に当該公務員個人の責任を認めないとするのは明らかに行き過ぎであり、このような場合に当該公務員を保護すべき理由は何ら存しない。職権濫用は、当該公務員の被害者に対する私的な害意に基づいて行われる場合が少なくないが、これに対して被害者が直接に賠償を求めようとすることは、極めて自然でもっともなことである。

(四) 公務員に対する直接請求を認めることに対しては、公務員の職務執行を萎縮させるおそれがあるとの批判がある。

しかし、そもそも公務員の職務執行を、公務員以外の職務に比べて特段に保護すべき理由は全くない。公務員は、法令に従い職務を遂行することが求められているのであるから、職務遂行に当たって法令に忠実であることは当然であり、個人責任を追及されるおそれがあるからといって本来行うべきことを行わないということはあってはならないのである。

したがって、右の批判は失当である。

2  被告乙及び被告丙

原告らの本訴請求は、被告乙及び被告丙が令状事件の処理にあたり裁判官として行った職務執行の違法を理由とする損害賠償請求であるところ、公権力の行使にあたる国の公務員がその職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきである。

したがって、被告乙及び被告丙の損害賠償責任は認められない。

3  被告丁

原告らは、警察官である被告丁が東京都の公権力の行使として、違法な捜索差押許可状の請求を行ったとするが、仮に本件各令状請求が違法であったとしても、被告東京都が損害賠償責任を負担することがあるのは格別、被告丁が原告らに対し個人として直接損害賠償責任を負うことはないから、被告丁の損害賠償責任は認められない。

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件各令状の発付を請求したことが違法であるか否か)について

1  捜査機関が、被疑者以外の第三者の住居その他の場所を捜索し、物を差し押さえる場合は、裁判官の発する捜索差押許可状によることを要するが(刑事訴訟法二一八条一項)、右令状は、当該捜索場所に押収すべき物の存在を認めるに足りる状況のある場合に限りその発付を請求することができる(同法二二二条一項、一〇二条二項)。また、右捜索差押は、当該被疑事実に係る犯罪の捜査をするについて必要がある場合に初めて行うことができることとされている。

特定の捜索・差押えについて、これらの要件が存在するか否かは、令状の請求をする時において収集された資料に基づいて、客観的合理的に判断されなければならないから、以下、本件各令状の請求当時に、これらの要件を認めるに足りる客観的合理的な事情があったか否かについて検討する。

2  判断の前提となる事実

証拠(〈略〉)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる(前記争いのない事実を含む)。

(一) 本件被疑事実に係る事件の概要

(1) 警視庁公安部公安第一課は、昭和六二年一一月二一日、東京シティエアーターミナルにおいて、Cと名乗る男を職務質問の際に捜査官に対して暴行を行ったとする公務執行妨害の被疑事実に係る現行犯人として逮捕した。同人は、このとき、C名義の一般旅券を所持していたが、右職務質問の際に、本籍地を答えられなかったなど挙動不審であったことから、さらに捜査を行ったところ、同人は、実在のCとは別人であり、昭和四七年四月に我が国を出国した、日本赤軍の最高幹部の一人と目されていたAであること、同人がC名義の旅券を不正に取得し、同年一一月二一日、我が国に帰国するに際し、新東京国際空港において、Cになりすまして右旅券を行使したことが判明した。

(2) Aは、右現行犯逮捕当時、昭和六二年一一月二四日東京発沖縄行使、同月二六日沖縄発大阪行使、同年一二月七日大阪発ソウル行便の各航空券、日本円及び外貨等合計約五〇〇万円相当の金銭を所持していたほか、右逮捕の際、ソウルオリンピックを非難する趣旨の内容のメモ紙を飲み込もうとしたことがあった。

さらに、その後の捜査の結果、Aは、昭和六二年一一月二六日に大阪入りして、数名の者と接触予定であったこと、過去シンガポール、フィリピン、香港等に渡航した経歴があり、右逮捕時以前にも日本に出入りしていたこと、本件旅券は、フィリピンのマニラ市を拠点に活動していた日本赤軍のメンバーBが、貿易商のEに依頼して入手したものであること、本件事件には、右の者のほかにC及びDが介在しており、なお数名の者が介在していると見られたこと、マニラ市のBの居宅にはA以外にも日本赤軍メンバーの出入りがあること及びBはヤマグチノボル名で一時帰国していたと見られること等が判明した。

(二) 日本赤軍の動向

(1) 日本赤軍は、世界革命を遂行することを企図している組織集団であり、T、A、Wらが中心となり、レバノンにその組織の根拠を置き、偽造旅券を行使して、ヨーロッパや東南アジア等の国々を移動し、それら各国の活動家と連携しつつ、以下のとおり、過去にハイジャック等の多数の違法行為を敢行している。

① 昭和四七年五月三〇日、Yら三名が、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港において、自動小銃を乱射するなどして二四名を殺害したほか、多数の負傷者を出した(テルアビブ・ロッド空港襲撃事件)。

② 昭和四八年七月二〇日、Aが、パレスチナゲリラと共に、パリ発東京行きの日航機を乗っ取り、身代金及び赤軍派メンバーの奪還を企てたが、目的を遂げずに、同機を爆破した(日航機乗取り事件)。

③ 昭和四九年一月三一日、日本赤軍のメンバー二名が、パレスチナゲリラと共に、シンガポールのブコム島において、石油精製所を爆破し、人質を取って逃亡した(シンガポール事件)。

④ 昭和四九年九月一三日、日本赤軍のメンバー三名が、オランダのハーグ市内において、フランス大使館を占拠し、大使館員を人質にして、拘禁中のメンバーを奪還して逃亡した(ハーグ事件)。

⑤ 昭和五〇年八月四日、日本赤軍のメンバー五名が、マレーシアのクアラルンプール市内において、米国大使館領事部等を占拠し、拘禁中の日本赤軍のメンバーや後記連続企業爆破事件の被告人であった東アジア反日武装戦線のメンバーを奪還して逃亡した(クアラルンプール事件)。

⑥ 昭和五二年九月二八日、Aら日本赤軍のメンバー五名が、パリ発東京行きの日航機を乗取り、身代金と共に、日本赤軍などのメンバーを奪還して逃亡した(ダッカ事件)。

(2) 日本赤軍のメンバー又はその関係者と見られる者らは、そのほか、以下のとおり、旅券等に関する事件によって摘発を受けている。

① 昭和四九年四月一九日、Rが、他人名義の旅券を申請して発給を得、この旅券によりベイルートへ出国し、日本赤軍と合流した。

② 昭和四九年、Tらが中心となり、旧西ドイツのデュッセルドルフ市内の日本人商社員を人質として身代金を奪取することを企てたが、その実行のため、パリにおいて、偽造旅券を行使してフランスへの入国を図ったUが、同年七月二六日、フランス当局に逮捕されたため、右計画を中止した(ほんやく作戦)。

③ 昭和五〇年三月五日、日本赤軍のZら三名が、スウェーデンのストックホルム市において、レバノン大使館を調査中、現地の警察に職務質問を受け、うち二名が偽造旅券の行使の被疑事実で逮捕され、日本へ強制送還となった。

④ 昭和五〇年八月二二日、日本赤軍と関係のある原告番号4が、偽造の米国有権者登録カード等を行使してカナダから米国への入国を図ったが、発覚した。

⑤ 昭和五〇年九月三日、日本赤軍と関係のあるX'3及びbが、スウェーデンのテロ防止法の適用を受け強制送還となった。警視庁は、右同日、X'3を旅券法違反の被疑事実で、bを前記①の事件に係る有印私文書偽造等の被疑事実でそれぞれ逮捕した。

⑥ 昭和五一年九月、日本赤軍のR及びZが、偽造旅券を行使してヨルダンへ入国を図り、同国警察に逮捕された。

⑦ 昭和五二年七月一二日、日本赤軍の関係者であるcが、スウェーデンにおいて、偽造旅券行使の被疑事実で同国警察に逮捕され、日本へ強制送還となった。

(3) 日本赤軍は、本件被疑事実に係る事件発生の当時においても、従来からの武装闘争の姿勢を堅持しており、以下のとおり、有罪判決を受けて服役中の連続企業爆破犯人の奪還やソウルオリンピックの開催阻止を呼号するなどしていた。

① 昭和六〇年一月一五日のフジテレビ系「三時のあなた」の番組におけるTの発言や、昭和六一年五月三〇日付「五・三〇声明〜リッダ闘争一四周年声明」及び昭和六二年五月三〇日付「五・三〇声明〜リッダ闘争一五周年声明」とそれぞれ題する声明において、武力闘争を示唆している。

② 昭和六〇年五月一九日付「五・一九 十周年によせて」と題する声明では、獄中にある連続企業爆破犯人を奪還することを示唆している。

③ 昭和六一年五月一四日、インドネシアのジャカルタ市内において、日本大使館に対し、時限式発射装置により発射弾が打ち込まれる事件が発生したが、同国警察当局は、日本赤軍が右事件に関係している旨を発表している。

④ 日本赤軍は、日本国内の支援者に送った昭和六二年一〇月二一日の国際反戦デーへのメッセージで、ソウルオリンピックの開催阻止を呼びかけている。

(二) 日本赤軍と東アジア反日武装戦線との関係

(1) 昭和四九年八月三〇日、三菱重工業株式会社において、時限式爆弾が破裂して、八名が死亡、一六五名が重軽傷を負った事件をはじめ、同年一〇月一四日には三井物産株式会社本社ビル、同年一一月二五日には帝人株式会社中央研究所、同年一二月一〇日は大成建設株式会社本社ビル、昭和五〇年二月二八日には株式会社間組本社ビル、同年五月四日には同社江戸川作業所において、それぞれ時限式爆弾が破裂するなど、合計一一件の連続企業爆破事件が発生した。

右事件は、「大地の牙」、「狼」及び「さそり」と称する各グループからなる東アジア反日武装戦線という組織によって敢行されたことが判明した。警視庁は、右事件の被疑者として、昭和五〇年五月一九日、H、M、d、O、e、f、P及びgの八名を、昭和五七年七月一二日、Jをそれぞれ逮捕した。

(2) 日本赤軍は、昭和五〇年五月三〇日、前記テルアビブ・ロッド空港襲撃事件三周年に際し、日本国内の集会に寄せた声明の中で、東アジア反日武装戦線をはじめとする同志たちの戦いを支持し、二人の日本赤軍の同志と再会し戦い抜く旨を表明したが、その約二か月後である同年八月四日、前記クアラルンプール事件を敢行し、東アジア反日武装戦線のM並びに日本赤軍のh及びiを奪還した。

(3) また、日本赤軍は、昭和五二年五月三〇日、前記テルアビブ・ロッド空港襲撃事件五周年に際し、日本国内に寄せた声明の中で、東アジア反日武装戦線の同志と一つの自己批判を共有し合うこと、団結を深め階級の利益に向けて、一つの責任を共に担うこと及び敵の獄中で戦い続けているR同志との再会に向けて準備することを表明したが、その約四ケ月後の同年九月二八日、前記ダッカ事件を敢行し、東アジア反日武装戦線のe及びf並びに日本赤軍のRを奪還した。

(4) 日本赤軍は、昭和五四年一一月二八日付「東アジア反日武装戦線獄中同志たちへの極刑判決を粉砕し、日帝打倒の全人民の戦いをつくりだそう」と題する声明の中で、東アジア反日武装戦線の獄中の同志たちを人民の手に奪い返し、共に日帝を打倒していく統一した戦いを作り出していく旨を表明した。

(5) さらに、日本赤軍は、昭和六二年五月三〇日付「五・三〇リッダ闘争一五周年にあたって」と題する声明において、連続企業爆破事件の被告人として勾留中であったH、N、O、P及びJを指して、獄中で敵の死刑・重刑攻撃と戦っている東アジア反日武装戦線の同志たちであるとし、その戦いを支持する旨を表明した。

(三) 東ア支援連の活動と日本赤軍との関係

(1) 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議(東ア支援連)の前身である「東アジア反日武装戦線を救援する会(準備会)」と称する団体は、昭和五〇年七月二〇日、前記連続企業爆破事件の被告人を支援することを目的として結成された。

右団体は、昭和五六年三月二四日に「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕、控訴審とたたかう支援連絡会議」と名称を変更し、昭和五八年一月には前記東ア支援連へと名称を変更した。

(2) 東アジア反日武装戦線を救援する会、東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕、控訴審とたたかう支援連絡会議及び東ア支援連は、都市ゲリラ戦の展開等を主張する「腹腹時計VOL2」、「腹腹時計VOL3」との名称の本や、反日武装闘争を主張する「反日双書」との名称の本において連絡先となり、「支援連ニュース」という機関誌の発行や連続企業爆破事件に係る刑事事件の公判傍聴のほか、「死刑・重刑阻止」とのスローガンによる集会、デモなどに取り組んでいる。

(3) 東ア支援連の主たる活動家の一人であるIは、昭和五七年一一月二七日には、連続企業爆破事件の被疑者として指名手配され逃亡中のJに係る犯人隠避の被疑事実で逮捕されたほか、昭和五八年九月二二日には、爆発物製造所持事件の被疑者とて逃亡中のKを、鹿児島県下の「無我利道場」と称する場所へ同道するなどしたとして、爆発物取締罰則違反の被疑事実で逮捕された。

(4) 東アジア反日武装戦線を救援する会の別名であるKQ通信社は、前記ダッカ事件直後の昭和五二年一〇月、「九・二九反日帝獄中獄外闘争の成果を進化させるために」と題するパンフレットを発行した。同パンフレットには、「ダッカ事件」の支持を表明するO、H、Pらの声明文等が掲載されているほか、「さらなるたたかいを!」と題して、「日本赤軍Z隊の戦士諸君を先頭とする9.28ダッカ作戦の成功は、世界革命を目指す反日帝獄中獄外戦線の戦いの勝利への道を大きく切りひらいた」、「われわれは、日本赤軍の武装闘争実践が切りひらいたものに深く学び、日帝を打倒しつくす戦線をより強固に築く」、「われわれもまた、獄外戦線に復帰した兵士とともに、日帝打倒のために自己を鍛え上げていかなければならない」との記載がなされている。

また、前記クアラルンプール事件及びダッカ事件によって釈放され、日本赤軍に合流したM、e及びfは、昭和六〇年五月一九日付「五・一九 十周年によせて」と題する連盟の声明の中で、「獄中で……闘い抜いている同志たち、闘っていれば必ず出会えるということを確信し続けてください。」、「必ず再会しましょう。」との趣旨の表明をしたが、東ア支援連は、昭和六〇年六月三〇日付支援連ニュース第四五号に「パレスチナより」と題し、右声明の全文を掲載した。

(5) 昭和五二年一一月、Q(Mの実兄)は、虚偽の記載をした旅券発給申請により旅券の発給を受け、昭和五三年六月二三日から同年九月五日まで海外旅行をした。

警視庁公安部公安第一課は、同年九月二五日、東アジア反日武装戦線を救援する会の事務所において、右旅券法違反の被疑事実によって、Qを逮捕すると共に、「東アジア反日獄中獄外戦線に合流するために」と題して、「日本赤軍は、R君奪還を公然と宣言できる地点にいる」と記載し、ハーグ事件及びクアラルンプール事件等に係る刑事事件の被告人として勾留中のRの奪還を宣言する趣旨であると解される、昭和五二年六月一八日付のメモ並びに「桜端君(Rのこと)」との書き出しで、「私達は全力を挙げて君の『救援』を行います」等と記載した手紙をそれぞれ押収した。

右メモの日付の約三か月後の昭和五二年九月二八日に、前記ダッカ事件が発生し、日本赤軍によるRの奪還が行われた。

(6) 東ア支援連は、以下のとおり、機関誌「支援連ニュース」に日本赤軍及び東アジア反日武装戦線に関する記事を掲載し、各種集会等への参加呼びかけを行っている。

① 昭和五七年八月二八日付支援連ニュース(臨時号)には「9.12 IN NAGOYA 主催 集会実行委員会 映画 赤軍PFLP―世界革命戦争宣言」との記載があり、日本赤軍関係者らが作製した映画の上映を宣伝している。

② 同年九月二七日付支援連ニュース(第一五号)には、被告人として獄中にいる東アジア反日武装戦線のHが、日本赤軍を「友人たち」と、日本赤軍に合流した東アジア反日武装戦線のメンバーを「わが同志たち」と呼んで、日本赤軍やこれに合流した東アジア反日武装戦線のパレスチナ闘争を激励している文章の掲載がある。

③ 支援連ニュース(第三一号)には、日本赤軍と関係のある原告番号4らが組織し活動している後記三多摩パレスチナと連帯する会(三パ連)等が連絡先となっている集会の開催案内の掲載がある。また、昭和五九年七月二〇日付支援連ニュース(第三五号)には、「原告番号3へのガサ弾圧許すな」との見出しで、原告番号3への捜索に対し抗議の意思を表明する記事の掲載がある。

④ 昭和六〇年二月一五日付支援連ニュース(第四一号)には、「東拘は日本赤軍が大嫌い!?」との見出しで、日本赤軍のダッカ事件の戦術を批判しつつも、パレスチナ解放闘争に対する日本赤軍の健闘を期待した東アジア反日武装戦線のdの主張の掲載がある。

⑤ 同年六月三〇日付支援連ニュース(第四五号)には、日本赤軍から東ア支援連に対し直接手紙が送付されてきている旨の記載がある。

⑤ 同年七月二五日付支援連ニュース(第四六号)には、被告人として拘禁中の東アジア反日武装戦線のPが、「アラブの同志たちへ」との題で、日本赤軍に合流したMら三名からのメッセージに対して連帯を表明する趣旨の文章を掲載がある。

(四) 三パ連の活動と日本赤軍との関係

(1) 三パ連は、原告番号4や原告番号3の代表者X'3らが中心となって、昭和五一年一一月に結成した組織であり、パレスチナ解放闘争に連帯して共に闘うとの目的を持ち、週一回の定例会「東アジア近代史研究会」の開催や、月一回の機関誌「パレスチナ連帯通信」の発行、パレスチナ解放闘争に関する講演会や映画会の開催等を行っている。昭和五四年九月からは原告番号4が代表となっている。

(2) 原告番号4及びX'3は、日本赤軍による前記「ほんやく作戦」に参加していた。

(3) 三パ連は、人民新聞社という出版社の東京多摩支局と同一の建物内に事務所を有し、使用する電話も同一の番号である。また、X'3及び原告番号4並びに右人民新聞社の社員が役員に就任している株式会社※※印刷という印刷会社も、右二者と同一建物内にあって、電話を共用している。

このうち、人民新聞社は、その出版物に日本赤軍の声明等を頻繁に掲載している。

(4) 三パ連は、日本赤軍の声明が掲載された出版物を集会の討論資料として活用しているほか、その機関誌に、日本赤軍からのメッセージやその関係者が被告人となっている刑事公判の予定、その関係者らによって製作された日本赤軍を宣伝する映画の上映案内等を掲載している。

(5) 三パ連結成当時の代表者であったVは、レバノンで、Tと接触している。

(五) 原告らと前記各団体との関係

原告ら又は原告らと同居している者らは、以下のとおり、日本赤軍の作戦敢行の一部に直接関わったり、そのメンバーと接触したことがあったり、又は前記各組織の中で活動を行ったりしている。

(1) 原告番号1

原告番号1は、○○△△のペンネームを使用して、映画製作を行っている○○プロダクションを主催する者であり、自らも映画監督をしている。同原告は、昭和四六年五月、当時○○プロダクションの助監督であったkと共にレバノンのベイルートを訪れ、当時共産主義者同盟赤軍派に属していたTの仲介によって、パレスチナ解放のため、極めて過激なゲリラ闘争を行っているパレスチナ解放人民戦線(略称「PFLP」)と接触し、同戦線の指導によって軍事訓練を受け、さらに右戦線のゲリラ訓練状況やTのメッセージ等を撮影して、「赤軍―PFLP世界戦争宣言」と題する映画を製作して、同年六月に帰国し、その後昭和四六年九月ころから昭和四七年七月ころにかけて、赤軍関係者らと共に、右映画の上映を行った。

また、同原告は、昭和四六年一一月ころ、ベイルート行きを希望していたlを、都内の旅行会社に紹介したが、lは、その後日本を出国してテルアビブ・ロッド空港襲撃事件に参加した。

日本赤軍のメンバーであるiは、取調べの際、同原告が日本赤軍の中の組織委員会に関係がある旨を述べている。

さらに、同原告は、昭和五〇年七月二六日、前記PFLPの国際部代表として同年七月二〇日から同年八月五日まで来日していたアブデル・アジス・ユーセフことボブセビアン・ヌーバーを、Tの実家へ連れて行ったほか、同人と数回接触した。右ユーセフは、同年七月三〇日の記者会見において、「日本赤軍とは現在も緊密な協力関係にある」、「今後も日本赤軍との連帯行動を強めていく」等と発言している。

クアラルンプール事件直後の昭和五〇年八月一二日、四谷公会堂において「パレスチナ革命と連帯する東京集会」と題する集会が開催され、クアラルンプール、米国、スウェーデン大使館占拠、同志奪還斗争勝利などを訴えたビラ等が配布されたが、この集会会場使用申請書には、主催者の住所として、前記○○プロダクションの所在地が記載されていた。また、同原告も右集会に参加している。

○○プロダクションが昭和四三年ころから使用していた東京都渋谷区のアパートには、昭和五五年九月ころから昭和五八年一月ころまでの間原告番号3が併設されていたが、その代表者X'3は、前記のとおり、日本赤軍による「ほんやく作戦」に参加した者である。

(2) 原告番号2

原告番号2は、昭和五一年一〇月二九日に中南米から帰国後、東アジア反日武装戦線を救援する会(KQ通信社)の活動を行っており、昭和五四年には、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争を承継し、発展し、実践させることを目的とするとして、前記KQ通信社を連絡先とし、東アジア反日武装戦線「狼」グループが発行した爆弾教本「腹腹時計VOL1」のコピーを申込者に送付するなどの活動を行っている。

また、同原告は、日本赤軍に関係のあるX'3や原告番号4らと共に、中東問題に関する各種集会に参加しているほか、X'3宅にも出入りしている。

(3) 原告番号3

① 原告番号3の代表者であるX'3は、昭和四八年四月二三日出国したが、昭和五〇年九月三日、スウェーデンにおいてテロ防止法違反の被疑事実により強制送還となり、同日我が国において旅券法違反の被疑事実で逮捕され、罰金刑を受けた。同人は、以下のとおり、ヨーロッパ滞在中の昭和四九年二月ころから同年七月ころまでの間、日本赤軍の組織委員会に所属し、日本赤軍が計画した前記「ほんやく作戦」実行部隊のヨーロッパにおける中心人物であったと認められる。

すなわち、日本赤軍のメンバーiは、取調べに対し、「X'3は、日本赤軍の組織委員会に所属している。昭和四九年三月に約一週間イラクのバグダッドのPFLP事務所で共に寝起きしたことがある。X'3は、PFLPの人やTから『イトウ』と呼ばれていた」等と供述した。また、日本赤軍のメンバーであるhは、取調べに対し、「今まで伊藤君と述べていた人はX'3であり、昨年(昭和四九年)八月二六日から二七日、私にヨーロッパから撤退するよう指示した人である」旨を供述している。さらに、原告番号4は、昭和五〇年九月一日にカナダから強制送還となり、同日偽造有印私文書行使の被疑事実で逮捕されたが、取調べに対し、「X'3から一九七四年(昭和四九年)一月か二月ころ、スウェーデンのストックホルム市内の喫茶店において、『西ドイツにある日本商社を攻撃する計画がある。ついては、その調査活動を引き受けてくれないか』などと話があり、これに賛成し、西ドイツのデュッセルドルフにある攻撃目標となり得る日本商社の選定や所在確認、建物の構造、人の出入り状況、商社トップ宅の所在地などの事前調査を行ってX'3にその結果を報告した。また、同年五月、パリ郊外のZ邸で開催された同計画の具体的な戦術会議に、T、c、U及びX'3と共に出席した。この商社役員身代金目的誘拐計画は、同会議で『ほんやく作戦』と名付けられた」と供述している。

② また、X'3は、昭和五一年一一月、「ほんやく作戦」に関係した原告番号4や日本赤軍と密接な関係を有する人民新聞社の東京多摩支局員mと共に三パ連を結成している。

③ 昭和五二年一〇月一二日、前記ダッカ事件に関してX'3の当時の住所を捜索した際押収した前記ハーグ事件及びクアラルンプール事件に係る刑事事件の被告人Rの弁護人からの手紙の中に、「赤軍は常に……等の声明とか何かないものか又将来出すようなことはないか―教えてください」等との記載があった。

④ 原告番号3は、X'3によって、昭和五三年一一月二七日、書籍等の印刷、出版、販売や旅行の斡旋等を業務内容として設立された。設立当時の住所は、東京都新宿区大久保〈番地略〉豊生堂ビル九〇四号室であったが、昭和五五年九月に東京都渋谷区神宮前〈番地略〉セントラルアパート五六三号室に移転し、さらに昭和五八年一月に前記豊生堂ビル九〇四号室に戻っている。右豊生堂ビル九〇四号室は、人民新聞社のnを居住人として賃貸借契約をしていた。セントラルアパート五六三号室に事務所を移転していた間は、右豊生堂ビル九〇四号室を人民新聞社東京支局が使用していた。また、前記のとおり、右セントラルアパート五六三号室には、原告番号1が主宰する○○プロダクションもあった。

⑤ 原告番号3の発起人、株主及び役員について、次の事実が認められる。

同原告の発起人、株主及び取締役である原告番号4は、「ほんやく作戦」に参画しており、また、昭和五四年一〇月から三パ連の代表者の地位にある。

原告番号3の発起人、株主及び取締役であるVは、三パ連の結成時から昭和五四年一〇月ころまでその代表者であったほか、前記ハーグ事件及びクアラルンプール事件に係る刑事事件の被告人Rの公判傍聴を行ったり、昭和五二年七月二八日の公判には弁護側証人として出廷したりしている。また、Vは、昭和五三年六月から同年一〇月までの間、日本赤軍の各種闘争声明を発表するなどしていた人民新聞社の海外特派員として、シリアなどへ渡航したほか、昭和五八年八月中旬、レバノンにおいて、Tと単独会見をしている。

同原告の発起人、株主及び監査役である原告番号9は、原告番号4らと共に三パ連の活動を行っているほか、X'3、原告番号4及びnらと共に、三パ連と同一建物内に所在し昭和五七年一〇月二八日設立された株式会社※※印刷の発起人及び監査役に就任している。

原告番号3の発起人及び株主であるoは、昭和四八年四月に我が国を出国し、昭和四九年一〇月四日、旧西ドイツから強制送還されたが、「ほんやく作戦」に「長崎」という偽名で参画し、また、三パ連の定例会にも度々出席している。

原告番号3の発起人及び株主である原告番号5は、昭和四八年八月に我が国を出国し、昭和四九年一一月に帰国しているが、スウェーデンのストックホルム市等に滞在中、X'3や原告番号4、日本赤軍のメンバーであったbと接触しているほか、昭和五〇年一一月ころから実姉のpと同居していたX'3方に身を寄せ、三パ連の活動を行っている。

原告番号3の発起人及び株主であるmは、人民新聞社東京多摩支局員であったほか、X'3や原告番号4らと共に三パ連を結成した者であり、また、※※印刷の発起人及び取締役にも就任している。

原告番号3の株主であるpは、昭和四七年一月に我が国を出国し、昭和五〇年一一月に帰国したが、その間、ストックホルム市内において、日本赤軍の組織委員会に所属していたX'3と同居していたほか、原告番号4やbら接触していた。

昭和六〇年三月ころから原告番号3に勤務しているqは、X'3及びbと交流があったほか、昭和四九年、右qが近畿日本ツーリスト大阪営業所に勤務していた当時、Rが小嶋幸一名義の偽造旅券で出国するに際し、神戸市所在の旅行社「トップナッチ」から安い料金の航空券を入手する仲介をしたほか、c及び日本赤軍の関係者rの出国の際にも、航空券入手の仲介をしている。

(4) 原告番号4

① 原告番号4は、昭和四八年三月五日に我が国を出国し、昭和五〇年九月一日にカナダから強制送還され、同日、偽造有印私文書行使の被疑事実で逮捕された。同原告は、取調べの際、ヨーロッパ滞在中の昭和四九年二月ころから同年七月ころまでの間、「ほんやく作戦」に参画し、日本赤軍の指導者であるT、U、X'3、hらと連絡を取りつつ、デュッセルドルフにある日本商社の調査等を行った旨及び自ら日本赤軍のメンバーとして他のメンバーと行動を共にした旨を供述した。

また、同原告は、「ほんやく作戦」の実行中、フランス警察当局が日本赤軍のメンバーを逮捕し、その動きが身辺に及ぶ可能性があることを察知するやベイルートに逃亡し、そこでAに接触すると共に、同人から、フランスで逮捕された日本赤軍メンバーを奪還するための別働隊が既にヨーロッパに向ったことを聞かされた旨供述した。

② 同原告は、その後も、「ほんやく作戦」当時の日本赤軍のメンバーであったX'3や前記oと共に活動しているほか、前記ハーグ事件及びクアラルンプール事件の被告人Rに接見禁止解除後直ちに面会するなど、日本赤軍に対する支援活動をも行っている。

③ また、前記(3)③のRの弁護人からX'3に宛てた手紙の中に、「先日R君とも拘置所にて会い……その後、X4君にも事務所に来てもらい裁判の冒陳、証拠について相談しました」との記載があった。

④ 同原告は、三パ連の構成員として活動し、昭和五四年九月ないし一〇月ころ、同会の代表となり、以後、X'3と緊密な連絡を取りながら同会の代表として行動し、定例会を主宰するなどした。

⑤ 同原告は、現在東京都立川市所在の□□に勤務しているが、同所には、前記人民新聞社多摩支局、※※印刷及び三パ連が事務所を置いており、三パ連の定例会も主にここで開催されている。

(5) 原告番号5

① 原告番号5は、前記□□内に所在する※※印刷に勤務しており、同社の株主にもなっている。

② 同原告は、同じく右場所に所在する三パ連の構成員であり、その主催、共催する集会等の各種行事に積極的に参加しているほか、前記のとおり、原告番号3の発起人及び株主にもなっており、同社に出入りしている。

③ 同原告は、昭和四八年当時、ストックホルム市に居住していたが、その際、実姉であるpと共に、X'3や原告番号4らと接触していた。X'3は、前記のとおり、強制送還された後、右pと同居していたが、同原告も、同一家屋に居住していた。

(6) 原告番号6

① 原告番号6は、東ア支援連が主催し又は共催する各種行事に積極的に参加したほか、同会の定例会をはじめ、各種集会のための会場を借用する際の名義人や代表者となっているほか、本件被疑事実により捜索差押が実施される以前の昭和六二年一二月七日に東京地方裁判所においてなされたAにっいての勾留理由開示手続を、Iらと共に傍聴している。同原告は、Iとは、同人が爆発物取締罰則違反等の被疑事実で東京拘置所に勾留された際に、面会するなどして交流がある。

② また、同原告は、後記のとおり、無我利道場の構成員らと交流しており、「獄中者組合」と称する団体の獄外事務局代表として、昭和五四年当時、東京拘置所に在監中のN、P及びOと面会している。

③ 同原告は、東ア支援連の事務所に居住したり、同事務所の移転時の賃貸借契約の名義人になるなどしている。また、同原告は、東ア支援連の印刷所として活動していた東京都荒川区所在の「××プリントショップ」なる店に出入りし、支援連ニュースのほか各種パンフレットやビラの印刷などを行い、同所賃借の際の保証人にもなっている。

(7) 原告番号7

原告番号7は、昭和五三年一月ころから、東アジア反日武装戦線を救援する会において、Qらと活動を通じて交流があった。また、「東京拘置所在韓中の東アジア反日武装戦線と共闘する運動」と題する活動や各種集会、公判傍聴等に参加しているほか、右会が昭和五八年一月に東ア支援連と改称された後も、東ア支援連が主催する定例会等に参加している。

(8) 原告番号8

原告番号8は、原告番号3に昭和五六年一月ころから出入りしているほか、前記□□に出入りしている。また、三パ連が主催する定例会や昭和六二年三月三〇日に開催された「土地の日・パレスチナ連帯集会」と題する集会、同年六月一日に開催された「OH!BEIRUTコンサート」と題する集会、同年九月一八日に開催された「九・一八パレスチナ人民連帯集会」と題する集会などに参加している。

また、同原告は、原告番号3が、前記セントラルアパート五六三号室に事務所を置いて前記○○プロダクションと同居していたころ、同所において開催された三パ連定例会に参加している。

同原告は、Iと共に、前記「××プリントショップ」なる店に勤務していたほか、東ア支援連事務所に出入りしたり、同会主催の集会へ参加したりし、連続企業爆破事件の被告人らに対する上告審の公判及び上告審判決の際に行われた最高裁判決報告集会にも、東ア支援連関係者と共に参加している。

(9) 原告番号9

原告番号9は、三パ連の定例会への参加をはじめ、同会の主催、共催の各種集会に頻繁に参加しているほか、X'3や原告番号4と共に活動している。

また、同原告は、原告番号3の発起人、株主及び監査役であると共に、前記※※印刷の発起人及び監査役でもある。

(10) 原告番号10及び原告番号11

原告番号10は、昭和五四年九月ころから昭和五八年一二月ころまで、鹿児島県名瀬市に居住していたが、昭和六〇年一〇月ころから、埼玉県越谷市の原告番号10方に居住している。

原告番号11は、昭和五七年八月三日、鹿児島県名瀬市で開催された「東ア支援連全国キャラバン奄美大島集会(反戦ギグ集会)」と題する集会に、原告番号63ら無我利道場の居住者二〇名と共に参加している。

また、原告番号11は、昭和五八年七月九日、Iに対する爆発物取締罰則違反の被疑事実につき、東ア支援連事務所の捜索が行われた際、原告番号6と共に右捜索の立会人となったが、その際同所から押収した電話帳には原告番号11の電話番号が記載されていた。

更に同原告の子供二名が、昭和五八年九月ころ、無我利道場で居住していた事実がある。

(11) 原告番号12

原告番号12は、昭和五六年一〇月六日、東京都渋谷区所在の上原区民会館で開催された東ア支援連の定例会に参加したほか、昭和五七年三月一〇日及び昭和五九年五月一九日に右同所で、昭和五七年四月三日及び昭和五九年二月八日に代々木八幡区民会館で、昭和六一年一月一九日に東ア支援連事務所で、それぞれ開催された会議等にも参加している。

また、同原告は、昭和五六年七月三一日及び昭和五七年二月一三日に開廷された連続企業爆破事件に係る刑事事件の控訴審の公判傍聴をはじめ、昭和五六年一〇月一七日に上原区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線は何を訴えているのか」と題する連続討論集会、昭和五七年二月一三日に四谷公会堂において開催された東ア支援連主催の「東アジア史第四回読書会」と題する集会、同年三月七日に右同所で開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!三・七反弾圧集会〜六〇年代からの解放闘争の中でそれはどんな光を放ったか〜」と題する集会、同年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された「彼らを殺すな! 東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四集会」と題する集会、同年一〇月二八日に日本キリスト教会館において開催された「一〇・二八判決前夜集会」と題する集会及び翌二九日の判決当日における集会並びにデモ行進、昭和五八年四月二四日に上原区民会館において開催された東ア支援連第三回連続講座、同年一〇月二九日に開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな! 一〇・二九行動」と題するデモ行進及び集会、東ア支援連一〇・一〇集会実行委員会が昭和五九年八月二九日に代々木八幡区民会館で、同年九月二六日に信濃町学生キリスト教友愛会館でそれぞれ開催した集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会及び同月二四日に上原区民会館において開催された前記集会の反省集会、昭和六〇年三月一〇日に早稲田セミナーハウス五〇周年記念会館において開催された東ア支援連全国集会、同年三月一三日東京地方裁判所において開廷された連続企業爆破事件に係る刑事事件の被告人Jに対する判決公判の裁判傍聴、その後の総括集会及び労音会館における報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において東ア支援連主催によって開催された「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな! 重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において反日論争委員会主催によって開催された「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年八月二五日に千駄ケ谷区民会館において東ア支援連主催によって開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕対最高裁行動実行委員会(仮称)設置の第一回実行委員会」と題する集会、同年一二月一四日に行われた「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を阻止する対最高裁行動」と題するデモ行進、昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国会議(合宿)、同年二月八日に日本キリスト教会館において対最高裁行動実行委員会(東ア支援連)が主催した「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同年三月二六日に代々木八幡区民会館において対最高裁行動実行委員会主催によって開催された集会、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において対最高裁行動実行委員会主催によって開催された「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会、デモ行進及び代々木八幡区民会館において開催された「今こそ虹作戦について語ろう反省会」と題する集会、同年六月一日に諏訪台福祉会館において対最高裁行動実行委員会主催によって開催された東ア支援連全国会議(合宿)、昭和六二年二月一日に日本橋公会堂において東ア支援連主催によって開催された「死刑制度に反対し、H君、m君の死刑確定阻止を目指す二・一討論集会」と題する集会、同年三月二一日清水谷公園において対最高裁行動実行委員会主催によって開催された「三・二一人・ひと・ヒト『死刑重刑判決阻止』緊急集会」と題する集会及びその後のデモ行進並びに同月二四日に開催された東ア支援連主催による東アジア反日武装戦線「狼」及び「さそり」グループに係る上告審判決公判に対する抗議集会及びその後のデモ行進にそれぞれ参加している。

(12) 原告番号13

原告番号13は、昭和六二年三月二一日に清水谷公園において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「三・二一人・ひと・ヒト『死刑重刑判決阻止』緊急集会」と題する集会及びその後のデモ行進に参加したのをはじめとして、同月二四日に行われた連続企業爆破事件に係る刑事事件の四名の被告人に対する上告審判決公判の傍聴、「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃阻止判決当日集会・デモ」と題する集会及びデモに参加し、同年一二月七日に東京地方裁判所において開廷されたAの勾留理由開示手続の傍聴にIらと共に参加した。

また、同原告の住所は、クアラルンプール事件により奪還され、以後日本赤軍に合流している夏川秋男が昭和五九年春に送付した「春田花子さんへの手紙」及び同年九月に送付した自己の陳述書が掲載された昭和六〇年二月一〇日発行の連合赤軍公判ニュース「雪嶺」の獄外連絡先になっている。

昭和六二年五月二三日付支援連ニュース(第六八号)には、「匿名の送金は国庫に没収!?」との見出しで、「連合赤軍の春田花子さんに送金されている匿名の方は、左記へ送金してくだされば、本人に必ず渡します。東京都北区西ヶ原〈番地略〉X13」と記載されているほか、同年七月二五日付支援連ニュース(第七〇号)には、「春田花子さんは前号でもお伝えしたように、体の苦痛が続いています。……X13さんが中心になって、春田さんへの面会をやりくりしていますので、面会に行かれる方は支援連にTELしてX13さんと連絡を取ってください。(つい今も「暑いから、ちょっとでも房から出れた方がいいだろう」とX13さんたちが面会に出かけたところです。)」などとの記載がある。

(13) 原告番号14

原告番号14は、昭和四四年六月に米国籍のジョアン・エレーヌ・コーエンと結婚した。そして、右ジョアン・エレーヌ・コーエンは、昭和四九年一月日本に帰化すると同時にsと改名した。

同原告とsは、昭和五八年六月に離婚したが、sは離婚後も同原告と同居し、本件捜索差押のあった当時も同居していた。

また、sは、離婚後、「政治的、経済的侵害者を敵としなければならない」という点において東アジア反日武装戦線Hらのとった行動に共鳴したとして、昭和六〇年一〇月まで、Hの母aと養子縁組をしていた。

sは、昭和五八年一月一七日、原告番号6と共に、東京拘置所においてHと面会し、同年六月五日には代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催による「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を阻止しよう!六・五集会」と題する集会に参加した。

そして、昭和五八年一月二五日付(第一九号)、同年二月二五日付(第二〇号)、同年九月二五日付(二六号)、同年一〇月二六日付(第二七号)、同年一二月二日付(第二八号)及び昭和五九年八月が二五日付(第三六号)の支援連ニュースには、それぞれsの投稿文や同人を紹介する文及び同人の出版物の紹介などが掲載されているほか、昭和五九年一月一五日付(第二九号)及び昭和六二年一月二〇日付(第六四号)の支援連ニュースには、原告番号14の投稿文が掲載されている。また、昭和六〇年六月一〇日発行の「救援」も、同原告の「『フォーカス』編集部への抗議文」と題する文も掲載している。

昭和五八年七月九日に被告人Iに対する爆発物取締罰則違反の被疑事実により東ア支援連事務所が捜索されて押収された「支援連ニュース」の購読者名簿の中には、原告番号14の名前があったほか、同年一〇月二一日にIに対する公正証書原本不実記載・同行使、有印私文書偽造・同行使の被疑事実により右場所が捜索された際にも、押収物の中に同原告の住所と名前の記載があった。

(14) の原告番号15

原告番号15は、昭和五七年三月七日に四谷公会堂において開催された三・七反弾圧集会実行委員会(東ア支援連)主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな! 三・七反弾圧集会〜六〇年代から解放闘争の中でどんな光を放ったか〜」と題する集会を参加したのをはじめとして、同年六月一二日に千駄ケ谷区民会館において、同年一〇月二〇日に上原区民会館において、それぞれ開催された東ア支援連の定例会、同年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された「『彼らを殺すな』東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四群衆集会」と題する集会、同年一〇月二八日に日本キリスト教会館において開催された東ア支援連主催の「一〇・二八判決前夜集会」と題する集会、同月二九日に行われた「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな! 一〇・二九デモ」と題するデモ行進、昭和五八年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃を阻止しよう! 六・五集会」と題する集会、昭和五九年二月二五日及び二六日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年六月七日に上原区民会館において開催された東ア支援連定例会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された一〇・一〇集会実行委員会主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年三月九日に日本キリスト教会館において開催された「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな! 決起集会」と題する集会、同月一三日に東京地方裁判所において開廷された連続企業爆破事件に係る刑事事件の被告人Jに対する判決公判の傍聴及び労音会館において開催された報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな! 重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会及びデモ行進、同年一〇月二六日に対最高裁行動実行委員会が開催した東京拘置所付近での「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会及び千駄ケ谷区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、同年一一月三〇日に対最高裁行動実行委員会が東京拘置所付近で開催した「対東拘抗議行動」と題する抗議行動、同年一二月一四日に飯田橋労政会館において対最高裁行動実行委員会主催によって開催された「対最高裁包囲デモ報告集会」と題する集会、昭和六一年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行実行委員会主催による「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、翌九日に同委員会主催によって開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな二・九行動」と題する集会及びデモ進、同年三月二五日に東京拘置所付近において行われた対最高裁行動実行委員会主催の対東拘抗議闘争並びに同年四月五日に東京拘置所南門付近において行われた対最高裁行動実行委員会主催の「東拘集中面会及び情宣活動」と題する抗議行動、同月六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう! 四・六集会」と題する集会及びデモ行進にそれぞれ参加している。

また、同原告は、昭和五七年一〇月二七日に旧日本国有鉄道新宿駅西口において「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!」等と記載されたビラの配布を行ったほか、連続企業爆破事件に係る刑事事件の統一公判、控訴審公判及び被告人Jの公判の傍聴や東京拘置所に在監中であったIへの面会や差入れ等を行っている。

(15) 原告番号16

原告番号16と昭和五八年六月ころ婚姻したtは旧姓をt'加藤といい、東ア支援連の活動家uの居室から押収された手帳に、tの名前と電話番号が暗号化されて記載されていた。右手帳は、昭和五七年九月二六日に原告番号2に対する爆発物取締罰則違反の被疑事実による捜索差押許可状によりuの居室から押収された。uは、過去にレバノンに渡航したこともあり、昭和四七年一〇月ころ、Iらと共に山谷現地闘争委員会を結成し、昭和五四年六月九日警視庁浅草警察署山谷派出所において勤務中の警察官を刺殺するという事件を起こした活動仲間の冬野太郎を救援する目的で「六・九斗争の会」と称するグループを結成した。このグループは、結成当初からKQ通信社と密接な関係にあり、u方から押収された手帳に、Iのペンネームである井上三郎の電話番号も暗号化されて記載されていた。また、eが使用していた電話は、東ア支援連事務所等を経て、昭和五四年七月一七日から昭和五五年一月二二日までの間、u方に架設されていた。

(16) 原告番号17

原告番号17は、昭和五六年六月一一日に南青山敬老会館において開催された東ア支援連の勉強会に参加したのをはじめ、同年中は三回、昭和五九年に約一六回、昭和六〇年に約一〇回、昭和六一年に約五回、昭和六二年は約五回にわたり、東ア支援連の定例会に参加している。

また、同原告は、昭和六〇年三月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判、昭和六一年七月一四日に東京高等裁判所において開廷された被告人Jに対する控訴審の公判の傍聴、昭和六一年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同年六月一日に荒川区立諏訪台福祉会館において開催された対最高裁実行委員会・東ア支援連等共催の全国会議並びに昭和六二年一一月一五日に千駄ケ谷区民会館において開催された東ア支援連・死刑廃止の会等共催による「死刑NO! 東京宣言一一・一五集会」と題する集会にそれぞれ参加しており、東ア支援連事務所にも頻繁に出入りしている。

(17) 原告番号18

原告番号18は、東アジア反日武装戦線を救援する会の会員であり、昭和五〇年一〇月三〇日に東京地方裁判所で開廷された東アジア反日武装戦線「狼」グループ四被告の第一回公判の傍聴に参加したのをはじめ、同年一一月一三日の右「狼」グループの被告人の勾留理由開示手続、連続企業爆破事件統一公判の傍聴や控訴審公判の傍聴に多数回参加している。

また、同原告は、昭和五七年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された九・四群衆集会(東ア支援連)主催の「『彼等を殺すな!』東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四群衆集会」と題する集会、昭和五八年四月二四日に上原区民会館において開催された東ア支援連主催の「連続講座第三回集会」と題する集会、同年五月一一日、五月二五日、六月一日、六月一五日、昭和五九年一月八日、同月一八日及び同年二月八日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連の定例会、昭和五八年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃を阻止しよう六・五集会」と題する集会、昭和五九年二月二五日及び二六日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、昭和六〇年三月九日に日本キリスト教会館において開催された「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな! 決起集会」と題する集会、同月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判の傍聴及びその後労音会館で開催された報告集会、同年五月一九日に杉並公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな! 重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、昭和六一年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう! 四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進並びに昭和六二年三月二四日の連続企業爆破事件に係る刑事事件の上告審判決公判当日の最高裁判所南門付近における傍聴闘争及び抗議行動にそれぞれ参加している。さらに、同原告は、昭和五九年三月二七日、当時Kを隠避した被疑事実により東京拘置所に在監中であったIに面会したり、昭和六二年二月八日に東ア支援連事務所に出入りしたりしている。

(18) 原告番号19

原告番号19は、昭和五七年一〇月二九日に東京高等裁判所における連続企業爆破事件に係る刑事事件の控訴審判決公判を傍聴したのをはじめ、昭和五八年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃を阻止しよう! 六・五集会」と題する集会、同年一〇月二三日、和光大学において開催された東ア支援連主催の「反日アンデパンダン集会」と題する集会、昭和五九年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された東ア支援連等による一〇・一〇集会実行委員会主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年二月二八日に信濃町学生キリスト友愛会館において開催された反日論争委員会主催の「五・一九反革命弾圧一〇周年反日論争委員会『第三期』公開論争〜戦争革命運動史における東アジア反日武装戦線の位置『さそり』の戦略〜」と題する集会、同年三月九日に日本キリスト教会館において開催された「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな! 決起集会」と題する集会、同月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判及びその後東京弁護士会館において開催された総括集会、同月二二日に信濃町学生キリスト教友愛会館において開催された「五・一九集会実行委員会(準)第四回実行委員会」と題する集会、同年四月一九日に右同所で開催された反日論争委員会主催の「公開論争『大地の牙』の背景」と題する集会、同年五月七日に右同所で開催された反日論争委員会主催の学習会、同月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな! 重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年七月一三日に豊島区立勤労福祉会館において開催された五・一九集会実行委員会主催の「五・一九集会第三回参加者交流会」と題する集会、同年九月八日に右同所において右委員会主催によって開催された「五・一九実行委員会学習会」と題する集会、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、昭和六一年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同月九日に開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな二・九行動」と題する集会及びデモ行進、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう! 四・六集会」と題する集会、その後のデモ行進及び代々木八幡区民会館における「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会反省会」と題する集会並びに同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された東ア支援連全国交流会(合宿)にそれぞれ参加したほか、昭和六〇年三月一三日に旧日本国有鉄道水道橋駅付近において「3・13Jくんへの重刑判決を弾劾する!」と題するビラの配布等も行っている。

(19) 原告番号20

原告番号20は、旧姓を△△といい、連続企業爆破事件を敢行した東アジア反日武装戦線「さそり」グループのメンバーのOの実弟であるvと結婚し、改姓した。

vは、昭和五二年一二月二七日及び昭和五三年一月四日に東京都台東区所在の東京ビジネスエイジェンシー株式会社において東アジア反日武装戦線を支援する会が開催した集会等に参加したほか、昭和五三年に東京地方裁判所で開廷された連続企業爆破事件に係る刑事事件の公判を五回傍聴している。

また、同人は、昭和五八年一月九日に東ア支援連事務所で開催された集会に参加したのをはじめ、昭和六〇年三月一三日に東京地方裁判所で開かれた被告人Jの公判傍聴及びその後の報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年許すな! 死刑・重刑攻撃五・一九集会」と題する集会及びその後のデモ行進(原告番号20も参加)、昭和六一年一月二九日に東ア支援連事務所において開催された定例会(同原告も参加)、同年二月八日に日本キリスト教会館において開催された「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会(同原告も参加)、同月九日に宮下公園で開催された「東アジア武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな二・九行動」と題する集会及びデモ行進、同年三月一二日に東ア支援連において開催された定例会、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進、同月九日に東ア支援連事務所において開催された定例会、同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の全国会議(合宿)、昭和六二年三月二四日に三河台公園で行われた「東アジア武装戦線への死刑・重刑攻撃阻止判決集会」と題する集会及びデモ行進にそれぞれ参加しているほか、昭和六二年三月二〇日には原告番号20と共に前記「××プリントショップ」において、Iと接触している。

原告番号20は、昭和五四年五月三一日に東アジア反日武装戦線を救援する会のメンバーである原告番号6、wほか一名と共にビラ貼りをし、軽犯罪法違反の被疑事実によって逮捕されているほか、昭和五四年六月一六日から同月一九日まで、東ア支援連と連帯関係にある広島市所在の「アジア同時代史研究会・y」方に滞在していた。

また、原告番号20は、昭和五四年七月二日、山谷地区一帯に連続企業爆破事件に係る刑事事件の公判傍聴の呼びかけビラを配布したほか、同日に東京地方裁判所で開廷された右公判を傍聴したのをはじめ、同年に三回、昭和五八年に被告人Jに関する公判を三回傍聴し、さらに昭和六二年三月二四日の最高裁判所における連続企業爆破事件に係る刑事事件の被告人に対する上告審判決公判を傍聴した。

同原告は、前記のとおりvと共に参加した集会等のほかに、昭和五八年六月四日に早稲田奉仕園で開催された東ア支援連全国会議(交流会)に参加したのをはじめとして、同月五日に代々木八幡区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を阻止しよう! 六・五集会」と題する集会、昭和五九年二月二五日及び二六日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年九月五日に代々木八幡区民会館で開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会実行委員会集会」と題する集会、同月一九日に右同所で開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会実行委員会集会」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された東ア支援連主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会並びに昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスで開催された東ア支援連全国交流会に、それぞれ参加している。

(20) 原告番号21及び原告番号22

① 原告番号21は、昭和六〇年一月に開催された東ア支援連の定例会に参加したほか、同年一一月三〇日に東京拘置所付近で行われた対最高裁行動実行委員会主催の「対東拘抗議行動」と題する抗議行動、昭和六一年二月一日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の集会、同月八日に日本キリスト教会館において開催された「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会並びに同月九日に宮下公園で開催された集会及びその後の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕」と題するデモ行進にそれぞれ参加している。

② 原告番号22は、東ア支援連の定例会に昭和五八年に一四回、昭和五九年に二七回、昭和六〇年に二五回、昭和六一年に七回参加したのをはじめ、昭和五八年三月二五日、同年四月二三日及び同年七月三〇日に上原区民会館において開催された連続講座、同年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を阻止しよう!六・五集会」と題する集会、同年一二月二一日に富坂セミナーハウスにおいて開催された「東ア支援連年間総括会議」と題する集会、被告人Jに対する第一審公判の傍聴(四回)、昭和五九年五月二五日及び二六日に開催された映画交流会、同年六月三日に代々木八幡区民会館において開催された「東ア支援連連続講座」と題する集会、同年八月一日、同年九月五日、同月一二日、同月二六日及び同年一〇月三日に開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会実行委員会集会」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された東ア支援連主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、同年一〇月一五日に代々木八幡区民会館において開催された「東ア支援連署名運動会議」と題する集会、同月二四日に上原区民会館において開催された一〇月一〇日の集会の反省会、同年一一月二三日に右同所において開催された「東ア支援連アウトノミア運動の熱い日々を見る聞く集い」と題する集会、昭和六〇年一月一九日及び二〇日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年三月九日に日本キリスト教会館において開催された「三・九Jくんへの無期重刑攻撃を許すな! 決起集会」と題する集会、同月一〇日に早稲田セミナーハウス五〇年記念会館において開催された「東ア支援連三・一〇全国会議」と題する集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな! 死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年七月二〇日に信濃町学生キリスト教友愛会館において開催された東ア支援連主催の「爆弾世代読み合せ会」と題する集会、同年一〇月一四日に代々木八幡区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、昭和六一年一月一一日、一二日及び同年六月一日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国会議(合宿)、同年二月一日に千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同月八日に日本キリスト教会館において開催された「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同月九日に宮下公園において開催された東ア支援連活動家による集会及び「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕」と題するデモ行進、昭和六二年二月一日に日本橋公会堂において開催された「死刑制度を廃止し、H君、N君の死刑確立阻止を目指す二・一集会」と題する集会並びに東アジア反日武装戦線に属する四名の被告人に対する控訴審公判の傍聴に、それぞれ参加している。

加えて、同原告は、昭和五九年五月五日に上野動物園入口付近において、原告番号6、z、Jらと共に、「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃阻止」と記載の横断幕を掲げて、「あなたは東アジア反日武装戦線を知っていますか!」との見出しのビラの配布を行い、昭和六〇年には旧日本国有鉄道お茶の水駅西口において、「Jくんへの重刑フンサイ」と記載した横断幕を掲示して、「三・一三J君への重刑判決を弾劾する!」と題するビラの配布を行った。

(21) 原告番号23

原告番号23は、昭和五六年一〇月六日に上原区民会館において開催された東ア支援連の定例会に参加して以来、昭和五九年に三五回、昭和六〇年に三一回、昭和六一年に五回にわたり、それぞれ東ア支援連の定例会に参加している。

また、同原告は、昭和五六年九月一八日の連続企業爆破事件に係る刑事事件の控訴審第七回公判後に日比谷公園内児童公園で開催された集会に参加したほか、同年一〇月一六日の同第八回公判、同月三〇日の同第九回公判、同年一一月二〇日の同第一〇回公判、昭和五七年三月一九日の同第一六回公判、同月二六日の第一七回公判、同年七月九日の同第一九回公判及び同年一〇月二九日の判決公判の傍聴を行っており、昭和五九年二月二五日及び二六日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会及びこれに先立つ同年八月二九日、同年九月五日、同月一二日、同月一九日、同月二六日及び同年一〇月三日に開催された「一〇・一〇集会実行委員会集会」と題する集会、同年一〇月二四日に上原区民会館で開催された「一〇・一〇集会反省会」と題する集会、昭和六〇年一月一九日及び二〇日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年二月二二日に千駄ケ谷区民会館で開催されたO氏を支える会」と題する集会、同年三月九日に日本キリスト教会館で開催された東ア支援連主催の「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな!決起集会」と題する集会、同年三月一〇日に早稲田セミナーハウス五〇周年記念館で開催された「東ア支援連三・一〇全国会議」と題する集会、同月一三日の被告人Jの判決公判当日に開催された総括集会及び労音会館で開催された報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館で開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、同年九月一三日に豊島区勤労福祉会館で開催された「対最高裁闘争実行委員会第二回集会」と題する集会、同月二五日及び同年一〇月一四日に代々木八幡区民会館で開催された同委員会第三回及び第四回集会、同月二六日に千駄ケ谷区民会館で開催された「対最高裁実行委員会結成大会」と題する集会、右同日に東京拘置所周辺で開催された「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会及び同年一一月二日に代々木八幡区民会館で開催された「一〇・二六反省会」と題する集会、同年一二月一四日に中央労政会館で開催された「対最高裁包囲デモ報告集会」と題する集会及び同月一六日に代々木八幡区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会集会」と題する集会、昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同月九日に代々木八幡区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会(第九回)集会」と題する集会、同年二月八日に日本キリスト教会館で開催された右委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同月九日に宮下公園で開催された「対最高裁実行委員会集会」と題する集会及びその後のデモ行進、同月二八日に代々木八幡区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会集会」と題する集会、同年三月一〇日に東ア支援連事務所で開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同月二六日に代々木八幡区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』を語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進並びに代々木八幡区民会館で開催された前記集会の反省会に、それぞれ参加している。

同原告は、昭和五八年一月九日に東ア支援連事務所において開催された会合に、Iらと共に参加しているほか、昭和六〇年一二月二六日にも同事務所に出入りしている。

また、同原告は、昭和六二年一二月七日に東京地方裁判所において行われた本件被疑事実についてのAの勾留理由開示手続を、Iらと共に傍聴している。

(22) 原告番号24

① 原告番号24は、イスラエル生まれでフランス国籍を有している。同原告は、昭和四五年六月ころに来日し、三パ連の結成当時の代表であったVと結婚したが、昭和五九年ころ離婚した。その後昭和六〇年二月ころからFが同原告宅に同居している。

② 同原告は、昭和五二年四月一一日に前記□□において開催された三パ連主催の定例会「パレスチナ研究会」に参加したほか、同年五月二八日、九月一二日にV、X'3、原告番号4らと共に、同年九月二六日にV、X'3らと共に同研究会に参加している。

また、昭和五三年二月一八日に武蔵野公会堂で開催された三パ連主催の集会にV、X'3、原告番号4、Oらと共に、同月二七日に□□で開催された「パレスチナ研究会」にV、X'3らと、同年四月一五日に武蔵野公会堂で開催された「パレスチナ連続公開講座」と題する集会にV、X'3、原告番号4らと共に、同年一〇月一四日に□□で開催された第二回□□映画会「どん底」にV、X'3らと共に、昭和五四年三月一七日、同年四月二一日及び同年五月一九日に武蔵野公会堂で開催された三パ連研究会にV、X'3、原告番号4らと共に、同年六月一六日に右同所で開催された三パ連主催の「連続公開講座」と題する集会にV、X'3、原告番号4らと共に、同年七月二一日に右同所で開催された「三多摩パレスチナの会講演集会」と題する集会にV、X'3、原告番号4らと共に、並びに同年一一月一六日に右同所で開催された三パ連主催の研究会にV、X'3、原告番号4らと共に、それぞれ参加している。

③ 原告番号24は、昭和六〇年一二月七日に四谷公会堂で開催された東ア支援連の集会に参加しているほか、昭和六二年二月一日に日本橋公会堂で開催された東ア支援連主催の「死刑制度に反対し、H君、N君の死刑確定阻止を目指す二・一討論集会」と題する集会、同年五月一六日に代々木八幡区民会館で開催された東ア支援連主催の「死刑確定判決を糾弾し、執行阻止を目指す五・一六講演集会」と題する集会にFと、同年七月一三日武蔵野芸能劇場で開催されたガッサン・カナフィーニを読む会(連絡先は前記「××プリントショップ」)主催の「七・一三映画、講演集会」と題する集会に原告番号4、F、原告番号30、原告番号2及びzら東ア支援連の活動家約五〇名と共に、それぞれ参加している。

④ 原告番号24の同居人であるFは、昭和五九年一二月一〇日、昭和六〇年一月一四日、同月二一日、同年二月四日、同年六月三日、同年一一月一九日、同月二六日、昭和六一年二月四日、同月二五日、同年三月四日、同月一一日、同月二五日、同年四月一日、同月八日、同年七月一五日、同年一一月一一日、同月一八日、同年一二月二日、同月九日、同月二三日、昭和六二年一月一三日、同月二〇日、同年二月一七日、同月二四日、同年三月一〇日及び同年四月七日に□□で開催された三パ連の定例会に参加したほか、昭和六〇年二月二〇日に国分寺勤労福祉会館で開催された三パ連主催の「三・三〇土地の日三多摩集会第一回実行委員会」と題する集会、同年九月一四日に千駄ケ谷区民会館で開催された「サブラ・シャティーラ虐殺糾弾パレスチナ連帯集会」と題する集会、昭和六一年六月四日に国分寺勤労福祉会館において開催された三パ連主催の「六・四レバノン侵攻四周年糾弾三多摩集会」と題する集会並びに昭和六二年三月三〇日に三鷹駅前市民会館において開催された「三・三〇土地の日集会」と題する集会に、それぞれ参加している。

⑤ Fは、昭和五八年一一月七日、昭和五九年一月九日、同月一〇日、同月一二日、同年三月二六日、同年六月八日及び昭和六〇年一一月二日に前記「××プリントショップ」に出入りしていたほか、昭和六〇年九月二五日に代々木八幡区民会館で開催された「対最高裁行動第三回実行委員会」と題する集会、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館で開催された東ア支援連等主催の集会、同年一二月七日に四谷公会堂において開催された東ア支援連主催の集会、同月一四日に開催された東ア支援連の「対最高裁抗議集会」と題する集会及びその後のデモ行進、昭和六一年二月九日に対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!二・九行動」と題する集会及びデモ行進、同年七月一三日に、南部労政会館で開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への早期判決策動ぶっつぶせ!七・一三決起集会」と題する集会、同年一〇月二五日に幡ケ谷区民会館で開催された東ア支援連主催の「死刑廃止、東アジア反日武装戦線への最高裁一一・七弁論阻止一〇・二五集会」と題する集会、昭和六二年二月一日に日本橋公会堂において開催された「死刑制度に反対し、H君、N君の死刑確定阻止をめざす二・一討論集会」と題する集会並びに同年三月二四日に上原区民会館で開催された連続企業爆破事件に係る刑事事件の最高裁判決の報告集会に、それぞれ参加している。

(23) 原告番号25について

原告番号25は、昭和五〇年一〇月三〇日に東京地方裁判所において開廷された東アジア反日武装戦線「狼」グループに属する四名の被告人に係る第一回公判の傍聴に参加したほか、同年一一月一三日に同裁判所において開廷された右「狼」グループに属する四名の被告人についての勾留理由開示手続、同年一一月二五日に同裁判所において開廷された被告人O及び同fに対する第一回公判の傍聴に、それぞれ参加している。

また、同原告は、昭和六〇年一〇月二六日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会主催の「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会や、同年一二月四日、同月一四日、昭和六一年一月九日、同年二月一日及び同年三月二六日に開催された東ア支援連主催の集会、昭和六〇年一二月一四日に飯田橋労政会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁包囲デモ報告集会」と題する集会、昭和六一年二月二八日に代々木八幡区民会館において開催された同委員会主催の上告審判決に向けての集会並びに同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された同委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進に、それぞれ参加しているほか、昭和六二年二月七日には、東ア支援連事務所に出入りしている。

(24) 原告番号26

原告番号26(当時番号26')は、昭和六〇年二月二七日、同年三月二〇日、同年四月三日、同月一〇日、同年五月一日、同月二二日、同月二九日、同年六月一九日、同月二六日、同年七月二四日、同月三一日、同年一二月一五日、同月一八日、昭和六一年一月八日、同月一五日、同月二二日、同年二月一二日、同月一九日、同年三月五日、同月一二日、同月一九日、同年四月三日、同月一六日、同月三〇日、昭和六〇年五月一四日及び同月二一日に開催された東ア支援連の定例会に参加したのをはじめ、同年三月一〇日に早稲田ミセナーハウス五〇年記念会館において開催された「東ア支援連三・一〇全国会議」と題する集会、同月一三日の被告人Jに対する第一審の判決公判の傍聴及び労音会館において開催された判決報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年許すな!死刑重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、右集会終了後のデモ行進並びに高円寺会館で開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線の光と影五・一九集会」と題する集会、同年八月三日及び同月四日に原告番号39方において開催された東ア支援連全国会議(夏期合宿)、同年一〇月二六日に東京拘置所周辺において行われた東ア支援連活動家による「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会及び千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、同年一一月二日に代々木八幡区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会反省会」と題する集会、同月一八日に右同所において開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同月二三日に東ア支援連事務所において開催された「支援連ニュース五〇号発行記念パーティー」と題する集会、同月二四日に池袋駅東口付近において行われた対最高裁行動実行委員会による情宣活動並びに同年一二月一四日に中央労政会館において開催された東ア支援連主催の「対最高裁包囲デモ報告集会」と題する集会、同年三月一三日に旧日本国有鉄道水道橋駅において行われた「三・一三Jくんへの重刑判決を糾弾する」と題するビラの配布、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された集会に際しzらと共に会場周辺でポスターを貼るなどの会場準備、昭和六一年一月九日に代々木八幡区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会集会」と題する集会、同月二一日及び同年四月二三日に行われた支援連ニュースの発送及び集会、同年二月八日に日本キリスト教会館において開催された「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同月九日に宮下公園で開催された集会及びその後の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕」と題するデモ行進、同月二五日に荒川区役所第五出張所において及び同年三月二六日に代々木八幡区民会館においてそれぞれ開催された東ア支援連の活動家らによる定例会「東アジア史研究会」、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進、同年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスで、同年五月三一日及び同年六月一日に諏訪台福祉会館でそれぞれ開催された東ア支援連全国会議(合宿)、同年二月九日の前記宮下公園での集会の際、集会場脇歩道上においてなした「死刑・重刑の最高裁判決迫る」と題するビラの配布並びに昭和六二年二月一日に日本橋公会堂において開催された東ア支援連主催の「死刑制度について考える討論会」と題する集会に、それぞれ参加している。

また、支援連ニュースの昭和六〇年八月二〇日付(第四七号)、同年一一月二〇日付(第五〇号)、昭和六一年二月二〇日付(第五三号)、同年五月二〇日付(第五六号)、同年一〇月一五日付(第六一号)、昭和六二年一月二〇日付(第六四号)、同年二月二〇日付(第六五号)、同年七月二二日付(第七一号)及び同年一〇月二一日付(第七三号)の各号に同原告の投稿が掲載されたり、その名前が掲載されたりしている。

(25) 原告番号27

原告番号27は、昭和五九年二月二七日に東京地方裁判所において開廷された被告人Iに対する爆発物取締罰則違反、公正証書原本不実記載被告事件の公判の傍聴に参加したのをはじめ、昭和六〇年四月一二日に信濃町学生キリスト友愛会館において開催された反日論争委員会主催の「五・一九実行委員会」と題する集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年一〇月二六日に東京拘置所周辺において対最高裁行動実行委員会が行った「対東拘獄中者弾圧抗議集会」と題する集会及び千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、同年一一月二日に代々木八幡区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会反省会」と題する集会、同月三〇日に東京拘置所周辺で行われた対最高裁行動実行委員会主催の「対東拘抗議行動」と題する抗議行動並びに昭和六一年五月三一日に諏訪台福祉会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の東ア支援連全国会議(合宿)に、それぞれ参加している。

また、支援連ニュース昭和六一年二月二〇日付(第五三号)には、「『黒ヘル公判ニュース』も出ています。東京連絡先→中野区本町〈住所略〉原告番号27さんへ」と同人の前住所地等が掲載されている。

(26) 原告番号28

原告番号28は、昭和五四年五月一四日に東京地方裁判所において開廷された連続企業爆破事件に係る刑事事件の第六四回公判、同年八月二〇日の右事件論告求刑公判及び同年一一月一二日の判決公判を傍聴している。

また、同原告は昭和五八年六月一日及び昭和六一年一二月二四日に開催された東ア支援連の定例会に参加したほか、昭和五八年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を阻止しよう!六・五集会」と題する集会、同年七月三〇日に上原区民会館において開催された「東ア支援連連続講座第五回集会」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された東ア支援連主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年三月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判の傍聴、その後の総括集会及び労音会館で開催された報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年九月一三日に豊島区立勤労福祉会館において開催された「対最高裁行動実行委員会第二回集会」と題する集会、同月二五日に代々木八幡区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会第三回集会」と題する集会、同年一〇月二六日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会主催の「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会及び千駄ケ谷区民会館において開催された同委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、同年一一月三〇日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会主催の「対東拘抗議行動」と題する抗議行動、同年一二月一六日に代々木八幡区民会館において開催された同委員会主催の「対最高裁行動実行委員会集会」と題する集会、同年一二月一四日に中央労政会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁包囲デモ報告集会」と題する集会、昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国会議(合宿)、同年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同月九日に行われた同委員会の主催による「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな二・九行動」と題する集会及びデモ行進、同月二八日に代々木八幡区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「上告審判決に向けての集会」と題する集会、同年三月二五日に東京拘置所付近において行われた対最高裁行動実行委員会主催の「対東拘抗議闘争」と題する抗議行動、同月二六日に代々木八幡区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会、同年五月三一日及び同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の東ア支援連全国会議(合宿)、同年六月二八日に行われた東ア支援連主催の「対最高裁デモ」と題するデモ行進及び集会、昭和六二年二月三日に最高裁判所南門前において行われた東ア支援連主催の「二・三上告審弁論阻止行動」と題する抗議行動及び清水谷公園において開催された最高裁判所裏を通る回帰デモ、同年三月二一日に清水谷公園において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「三・二一人・ひと・ヒト『死刑重刑判決阻止』緊急集会」と題する集会及びその後のデモ行進並びに昭和六〇年三月一三日に旧日本国有鉄道水道橋駅頭においてなされた「三・一三Jくんへの重刑判決を弾劾する!」との見出しのビラの配布に、それぞれ参加した。

(27) 原告番号29

原告番号29は、昭和五九年二月八日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連の定例会に、同時同居中であったGと共に参加している。Gは、同年一月一九日に東京地方裁判所において開廷された被告人Iに対する爆発物取締罰則違反、公正証書原本不実記載被告事件の公判を、東ア支援連の活動家であるSらと共に傍聴している。

また、同原告は、昭和五九年八月一日に、上原区民会館において開催された一〇・一〇集会実行委員会主催の東ア支援連関係集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会に参加したほか、同月二四日に東京高等裁判所において開廷された被告人Iに対する爆発物取締罰則違反、公正証書原本不実記載被告事件の控訴審判決公判の傍聴、昭和六〇年二月二二日に千駄ケ谷区民会館において開催された「O氏を支える会」と題する集会、同年一二月一〇日に上原区民会館において開催された同集会、同年二月二七日に右同所において開催された東ア支援連の定例会、同年三月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判の傍聴、同年五月一九日に高円寺会館において開催された「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年三月一四日に信濃町学生キリスト教友愛会館において開催された右五・一九集会に向けた「第三回実行委員会集会」と題する集会及び同月二二日の「第四回実行委員会集会」と題する集会、昭和六一年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会に、それぞれ参加している。

(28) 原告番号30

原告番号30は、昭和五七年一〇月二九日に連続企業爆破事件に係る刑事事件の控訴審判決に際し、判決傍聴の目的で東ア支援連関係者と共に東京高等裁判所付近に集まったのをはじめ、昭和五八年一〇月二九日に牛込公会堂において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!一〇・二九集会」と題する集会、昭和六〇年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年許すな!五・一九死刑・重刑攻撃反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年七月一三日に武蔵野芸能劇場において開催されたガッサン・カナフィーニを読む会主催の「ガッサン・カナフィーニ七・一三映画講演集会」と題する集会、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、昭和六一年二月九日に宮下公園において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな二・九行動」と題する抗議行動及びその後のデモ行進並びに同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう!四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進に、それぞれ参加している。

また、同原告は、X'3や原告番号4とも交流がある。

(29) 原告番号31

原告番号31は、昭和五九年二月二五日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連主催の全国交流会に参加したのをはじめ、同年四月から同年一一月までの間に東ア支援連の定例会に一六回参加している。

また、同原告は、同年五月五日に上野動物園付近において、東ア支援連のビラ配布などの情宣活動を行ったほか、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館で開催された東ア支援連主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会及びこれに向けた「一〇・一〇実行委員会」の集会に四回、昭和六〇年一月一九日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連主催の全国交流会、昭和六一年一月一一日及び一二日に右同所において開催された東ア支援連主催の全国交流会(合宿)、同年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進、同年五月三一日及び同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された対最高裁行動実行委員会、東ア支援連等の共催による全国会議(合宿)に、それぞれ参加している。

(30) 原告番号32

原告番号32は、東ア支援連と共闘している大阪ニジの会が昭和五八年一月二九日、同年二月六日及び同年三月六日に大阪市北区所在のPLP会館において開催した集会並びに昭和五九年八月五日に右同会が主催したデモ行進及びその後PLP会館において開催された定例会に参加したのをはじめ、東ア支援連事務所において開催された東ア支援連の定例会に昭和六〇年九月一一日から昭和六一年五月一四日までの間合計一八回参加している。

また、同原告は、昭和六〇年八月二四日に豊島区立勤労福祉会館において開催された反日論争委員会主催の「第二回連続学習会」と題する集会に参加したほか、同年九月七日に右同所において開催された東ア支援連、反日論争委員会等により構成された五・一九実行委員会主催の学習会、同月一三日に右同所において及び同年一〇月一四日に代々木八幡区民会館においてそれぞれ開催された対最高裁行動実行委員会結成のための集会、同月一〇日に東ア支援連事務所において開催された「O氏を支える会」と題する集会、同月二六日に東京拘置所周辺において対最高裁行動実行委員会が行った「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会、同年一一月三〇日に右同所において同委員会が行った「対東拘抗議行動」と題する抗議行動、同年一一月二日に代々木八幡区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「一〇・二六対最高裁行動実行委員会結成大会反省会」と題する集会、同月二四日に池袋駅東口付近において行われた対最高裁行動実行委員会による情宣活動、対最高裁行動実行委員会が同年一二月四日に恵比寿区民会館において、同月一六日及び昭和六一年三月二六日に代々木八幡区民会館においてそれぞれ開催した集会、同年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会、同年三月一日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会による「対東拘抗議闘争」と題する抗議行動、同年四月五日に右同所面会室及び南門付近において行われた対最高裁行動実行委員会による「東拘集中面会及び情宣活動」と題する抗議行動、同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進並びに同年五月三一日及び同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された東ア支援連全国交流会(合宿)に、それぞれ参加している。

そのほか、同原告は、昭和六二年三月一六日、同月一九日、同月二〇日、同月二三日、同月三〇日及び同月三一日前記「××プリントショップ」に出入りしており、そのうちの同月二三日、同月三〇日及び同月三一日にはIと接触している。

(31) 原告番号33

原告番号33は、救援連絡センター事務局長として活動しており、連続企業爆破事件に係る刑事事件の公判傍聴や右事件の被告人の救援活動等を行っている。

そして、同原告は、昭和五一年三月二四日、同年七月二二日、昭和五四年五月七日、同月二一日、同年八月二〇日及び同年一一月一二日に開廷された連続企業爆破事件統一公判の傍聴に参加したのをはじめ、連続企業爆破事件に係る刑事事件の控訴審公判や被告人Jに対する公判の傍聴に参加しているほか、判決公判終了後に開催された総括集会や報告集会にも参加している。

また、同原告は、昭和五七年一月一六日、上原区民会館で開催された東ア支援連主催の「三・七反弾圧集会第三回実行委員会」と題する集会に参加したのをはじめ、同年三月七日に四谷公会堂において開催された右三・七反弾圧集会実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!三・七反弾圧集会〜六〇年代から解放闘争の中でどんな光を放ったか〜」と題する集会、同年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された東ア支援連主催の「彼らを殺すな!東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四群衆集会」と題する集会、昭和五八年四月二一日から昭和六〇年九月一一日までの間に開催された東ア支援連の定例会に合計一八回、昭和五八年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を阻止しよう六・五集会」と題する集会、同年一〇月二三日に和光大学において開催された東ア支援連主催の「反日アンデパンダン」と題する集会、昭和五九年五月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「東ア支援連映画交流会」と題する集会、同年八月二日及び三日に那須保養所において開催された「反日弁護団会議」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された東ア支援連主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年一月一九日及び二〇日、昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年許すな!重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進(同原告はこのデモ行進の現場責任者であった)及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年八月二五日及び同年九月一三日に豊島区立勤労福祉会館において開催された対最高裁行動実行委員会結成のための集会、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、昭和六一年二月九日に宮下公園において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!二・九行動」と題する集会及びその後のデモ行進、同年三月一日及び同月二五日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会による「対東拘抗議闘争」と題する抗議行動、同年四月五日に東京拘置所の面会室及び南門付近において行われた対最高裁行動実行委員会による「東拘集中面会及び情宣活動」と題する抗議行動、同月六日に千駄ケ谷区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会、その後のデモ行進及び代々木八幡区民会館において開催された右集会の反省会、昭和六二年三月二四日に三河台公園において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃阻止判決集会」と題する集会及びその後のデモ行進並びに同年一二月七日に東京地方裁判所において開廷されたAについての勾留理由開示手続の傍聴に、それぞれ参加している。

(32) 原告番号34

原告番号34は、昭和六〇年五月一九日に杉並区立公民館で開催された「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会に参加したほか、同年七月一七日、同年八月一四日及び同月二一日に東ア支援連事務所で開催された定例会、同年八月三日及び同月四日に開催された東ア支援連主催の全国会議(合宿)、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、昭和六一年一月九日に代々木八幡区民会館で開催された「対最高裁行動実行委員会」と題する集会、同年二月八日に日本キリスト教会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会並びに同年六月一日に諏訪台福祉会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の全国会議(合宿)に、それぞれ参加している。

また、支援連ニュースの昭和六〇年九月二〇日付(第四八号)、同年一一月二〇日付(第五〇号)、同年一二月二〇日付(第五一号)、昭和六一年六月一五日付(第五七号)及び昭和六二年二月二〇日付(第六五号)の各号には、同原告の活動状況等が紹介されている。

(33) 原告番号35

原告番号35は、昭和六〇年三月一〇日に早稲田セミナーハウス五〇年記念会館において開催された東ア支援連全国会議に参加したのをはじめ、同月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判傍聴のための同庁前への集合及びその後開催された報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会及びその後のデモ行進、同年一〇月二六日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会による「対東拘獄中弾圧抗議行動」と題する抗議行動、同年一二月一四日に中央労政会館において開催された東ア支援連主催の「対最高裁包囲デモ報告集会」と題する集会、昭和六一年二月八日に日本キリスト教会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線について語ろう二・八集会」と題する集会並びに同月九日に宮下公園で開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな二・九行動」と題する抗議行動及びその後のデモ行進に、それぞれ参加している。

(34) 原告番号36及び同37

原告番号36及び原告番号37は、昭和六〇年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会並びに同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会に参加したほか、原告番号36が、右同日に東京拘置所周辺において行われた対最高裁行動実行委員会による「対東拘獄中弾圧抗議集会」と題する集会並びに昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連主催の全国会議(合宿)に参加している。

右原告両名は、前記大阪ニジの会の活動家である原告番号53'こと原告原告番号53及び原告番号54'こと原告同54らと共に、右「許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会で寸劇「白い闇」を演じている。

また、昭和六二年一二月二六日に東ア支援連の活動家である前記S及び原告番号14宅から押収した名簿に「原告番号37'(原告番号37のペンネーム)・イギリス留学体験あり」等との記載があった。

支援連ニュース昭和五九年五月一五日付(第三三号)、同年六月二〇日付(第三四号)、同年七月二〇日付(第三五号)、同年八月二五日付(第三六号)、同年九月二五日付(第三七号)、同年一〇月二五日付(第三八号)及び同年一一月二五日付(第三九号)の各号には、原告番号37に関する記事の掲載がある。

(35) 原告番号38

原告番号38は、昭和五〇年一〇月三〇日に東京地方裁判所において開廷された連続企業爆破事件の第一回公判に際して、分離公判に反対するための行動に参加したのをはじめ、昭和五六年五月七日に上原区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線控訴審開始五・七前夜集会」と題する集会、同月八日に東京高等裁判所において開廷された公判の傍聴、同年七月三一日、同年八月二八日及び昭和五七年一〇月二九日に東京高等裁判所において開廷された連続企業爆破事件に係る刑事事件の控訴審公判の傍聴並びに昭和六〇年四月一七日及び同月二四日に開催された東ア支援連の定例会に、それぞれ参加している。

(36) 原告番号39

原告番号39は、昭和五九年八月一日に上原区民会館において開催された東ア支援連の集会に参加したほか、同年八月一五日、同月二九日、同年九月五日及び同年一〇月三日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連の集会、同月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年一月一九日及び二〇日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連主催の全国交流会(合宿)、同年三月九日に日本キリスト教会館において開催された東ア支援連主催の「三・九Jくんへの無期攻撃許すな!決起集会」と題する集会、同月一三日東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判及び労音会館において開催された報告集会並びに同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会に、それぞれ参加している。

また、昭和五八年七月九日にIに対する爆発物取締罰則違反の被疑事実によって東ア支援連の事務所が捜索された際に押収された支援連ニュースの購読者名簿には、「品川区南品川〈番地略〉原告番号39」の記載があり、同年一〇月二一日にIに対する公正証書原本不実記載同行使、有印私文書偽造同行使の被疑事実によって東ア支援連事務所が捜索された際に押収された住所宛名書きにも、同様の記載があった。

(37) 原告番号40

原告番号40は、昭和五九年一〇月三一日から昭和六一年一月八日までの間に、東ア支援連の定例会に合計二二回参加したのをはじめ、昭和五九年九月一九日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連等主催の「一〇・一〇集会実行委員会」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された右一〇・一〇集会実行委員会主催の「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、同月一七日に代々木上原区民会館において開催された東ア支援連主催の「一〇・一〇集会の反省会」と題する集会、同月二四日に開催された「一〇・一〇集会実行委員会」と題する集会、昭和六〇年一月一九日及び二〇日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年三月七日、同月一四日及び同月二二日に開催された五・一九集会実行委員会準備会の集会(第二回ないし第四回)、同年四月二日に開催された「五・一九集会第二回実行委員会集会」と題する集会、同年三月九日に日本キリスト教会館において開催された東ア支援連主催の「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな!決起集会」と題する集会、同月一〇日に早稲田セミナーハウス五〇年記念会館において開催された「東ア支援連三・一〇全国会議」と題する集会、同年三月一三日東京地方裁判所において開廷されたJに対する判決公判、その後の総括集会及び労音会館において開催された報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年許すな!重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催による「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年八月三日に原告番号39方において開催された東ア支援連全国会議(夏期合宿)、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会、昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年二月九日に行われた対最高裁行動実行委員会による「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!二・九行動」と題する抗議行動、同月二八日に代々木八幡区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「上告審判決に向けての集会」と題する集会、同年三月六日に右同所において開催された対最高裁行動実行委員会並びに同年四月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進に、それぞれ参加している。

(38) 原告番号41

原告番号41は、東アジア反日武装戦線「狼」グループのリーダーHの養母aとの間で同女の養子になる旨の養子縁組をしている。

同原告は、昭和六二年二月一日に上野公園において「二名の死刑廃止二・三最高裁へ」と題するビラの配布を行い、その後日本橋公会堂において開催された東ア支援連主催の「死刑制度に反対しH君、N君の死刑確定阻止を目指す二・一討論集会」と題する集会に参加しているほか、同年三月二一日に清水谷公園において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「三・二一人・ひと・ヒト『死刑重刑判決阻止』緊急集会」と題する集会に参加した後、デモ行進に参加している。

(39) 原告番号42

原告番号42は、昭和五七年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された「彼らを殺すな、東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四群衆集会」と題する集会に参加したのをはじめ、昭和五七年一〇月二八日に日本キリスト教会館において開催された「一〇・二八東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕判決前夜集会」と題する集会、昭和五九年一〇月一〇日、東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年三月九日に日本キリスト教会館で開催された東ア支援連による「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな決起集会」と題する集会、同年五月一九日に杉並区立公民館で開催された東ア支援連主催の「許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、昭和六二年二月一日に日本橋公会堂において開催された東ア支援連主催の「死刑制度に反対しH君、N君の死刑確定阻止を目指す二・一討論集会」と題する集会並びに同月三日に東ア支援連等の主催による「対最高裁行動」と題する抗議行動に、それぞれ参加している。

(40) 原告番号43及び同44

原告番号43及び原告番号44は、同居している。

原告番号43は、昭和四六年四月ころから昭和四七年六月ころまでの間東ア支援連の活動家である寅と交流があったほか、昭和五八年七月九日にIに対する爆発物取締罰則違反の被疑事実によって東ア支援連事務所が捜索された際に押収された支援連ニュースの講読者名簿に、「原告番号43 京都市右京区〈住所略〉」と記載されており、同年一〇月二一日にIに対する公正証書原本不実記載同行使、有印私文書偽造同行使の被疑事実によって東ア支援連の事務所が捜索された際に押収された住所宛名書きにも右と同様の記載があった。

また、同原告は、昭和五四年一月二四日に京都市下京区内の旅館「新町会館」五階五〇二号室において発生したいわゆる「新町会館爆破事件」に係る被告人jに対する京都地方裁判所における刑事事件の公判を昭和五四年四月五日から昭和五五年七月一四日まで一四回すべて傍聴しているが、この間Gや原告番号18及び原告番号55ら東ア支援連関係者と共に傍聴したことがある。

なお、jは、自宅に東アジア反日武装戦線の爆弾教本「腹々時計」を所持していたほか、昭和五五年七月三日に東ア支援連と関係を有する「六・九闘争の会」と称するグループの事務所が捜索された際、jの住所、氏名が記載されていた文書も発見されている。

(41) 原告番号45

昭和六二年一二月二六日に原告番号14に対する本件捜索差押の際に押収された原告番号45差出しに係る「S'」と称する者宛の封書内の便せんには、「Pさんから連絡を受けた原告番号45です……Pさんからの便りによると私に何か相談したことがあるようですね……ヘルプしたいと思います」との記載があった。右「S'」は、前記Sの通称名である。

(42) 原告番号46

原告番号46は、昭和五七年一〇月二九日に行われた東ア支援連等の主催による「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・二九デモ」と題するデモ行進及びその後の判決当夜集会に参加したほか、昭和五八年五月二一日に東京拘置所において東アジア反日武装戦線「狼」グループのメンバーP及びHと面会し、その後東ア支援連事務所に立ち寄っている。

また、同原告は、同年六月五日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃阻止しよう!六・五集会」と題する集会に参加した。

そして、同年七月九日にIに対する爆発物取締罰則違反の被疑事実によって東ア支援連の事務所が捜索された際に押収された支援連ニュースの購読者名簿には、「原告番号46 茨城県行方郡北浦村〈住所略〉」との記載があったほか、同年一〇月二一日にIに対する鋼製証書原本不実記載同行使、有印私文書偽造同行使の被疑事実によって東ア支援連の事務所が捜索された際に押収されたノートにも同原告の連絡先と思われる記載があった。また、昭和六〇年一二月一四日に三河台公園において開催された「一二・一四対最高裁抗議集会」と題する集会の際に配布された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕!最高裁を包囲する圧倒的な戦いを展開しよう!」と題するビラには「対最高裁行動実行委(準)」の実行委員会の賛同人として同原告の名前の記載があるほか、支援連ニュースの昭和五九年九月二五日付(第三七号)、同年一〇月二五日付(第三八号)及び昭和六二年三月二七日付(第六六号)の各号に、同原告の投稿記事や同原告を紹介した記事が掲載されている。

(43) 原告番号47

昭和六二年一二月二六日に原告番号14方から押収した原告番号47のSに宛てた封書には、「署名大変遅くなりまして……とりあえず一枚だけお送りします。……」との記載があった。

(44) 原告番号48

原告番号48と同居している戊は、昭和六一年二月二五日、荒川区役所第五出張所において及び同月二六日東ア支援連事務所においてそれぞれ開催された東ア支援連の定例会に参加したのをはじめ、同年三月二六日に代々木八幡区民会館で開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会集会」と題する集会、同年四月二日に代々木八幡区民会館で開催された東ア支援連定例会、同月五日に東京拘置所において行われた対最高裁行動実行委員会による「東拘集中面会行動」と題する抗議行動、同月六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会、同月一六日、同月三〇日、同年五月一四日、同月二一日及び同月二八日に開催された東ア支援連定例会並びに同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の全国会議に、それぞれ参加している。

また、同原告は、昭和六一年三月一日に、対最高裁行動実行委員会による東京拘置所に対する抗議活動において、「死刑重刑攻撃粉砕」などと書かれたビラを配布し、同年四月二三日に諏訪台福祉会館において支援連ニュースの発送作業に携わったほか、昭和六二年三月二八日及び同年三月二日に前記「××プリントショップ」に出入りし、Iと接触している。

(45) 原告番号49

原告番号49は、昭和五七年一月二六日に南青山敬老館において開催された「東ア支援連勉強会」と題する集会に参加したのをはじめ、同年三月七日に四谷公会堂ホールで開催された三・七反弾圧集会実行委員会主催の「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!三・七反弾圧集会〜六〇年代からの解放闘争の中でそれはどんな光を放ったのか〜」と題する集会、同月二日、同月一〇日、同月三一日、同年五月二五日及び同年一〇月六日に開催された東ア支援連の定例会、同年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された「『彼らを殺すな』東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四群衆集会」と題する集会、同年一〇月二八日に日本キリスト教会館において開催された「一〇・二八東アジア反日武装戦線への死刑・重刑粉砕!判決前夜集会」と題する集会、同月二九日の連続企業爆破事件に係る刑事事件の四名の被告人に対する控訴審判決当日に行われた東ア支援連等の主催による「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・二九デモ」と題するデモ行進及びその後の判決当夜集会、同年一一月三日に代々木八幡区民会館において開催された「一〇・二九行動実行委員会総括会議」と題する集会、昭和五九年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年五月一九日に杉並区立公会堂において開催した東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、反日論争委員会が高円寺会館で開催した「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年八月二五日に千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁闘争第一回実行委員会集会」と題する集会並びに同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会に、それぞれ参加している。

また、支援連ニュースの昭和五八年八月二五日付(第二五号)、同年一二月二日付(第二八号)、昭和五九年九月二五日付(第三七号)、同年一〇月二五日付(第三八号)及び昭和六〇年六月五日付(第四四号)の各号に、同原告の投稿記事や同原告の発言内容が掲載されている。

(46) 原告番号50

原告番号50は、昭和五九年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会に参加したのをはじめ、昭和六〇年一月一九日及び二〇日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)、同年八月二五日に千駄ケ谷区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕、対最高裁行動実行委員会(仮称)結成第一回実行委員会」と題する集会並びに昭和六一年四月六日に右同所において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会及びその後のデモ行進に、それぞれ参加している。

(47) 原告番号51

原告番号51は、昭和五四年五月一四日に東京地方裁判所において開廷された連続企業爆破事件の公判を傍聴したのをはじめ、同年中に三回の右公判の傍聴と被告人Jに対する公判傍聴を合計六回行っている。

また、同原告は、昭和五五年一二月一三日に東京都勤労福祉会館において開催された「『大逆罪復活、企業の海外侵略を許すな』一二・一三東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃に抗議する討論会に参加を!」と題する集会に参加したのをはじめ、昭和五六年一〇月七日、同月一三日、同年一一月一〇日、同年一二月一日、同月九日、昭和五七年二月二日、同月一七日、同年三月一日、同月一〇日、昭和五八年四月六日、同年六月八日、同月一五日、同年七月一三日、同年九月二一日、昭和五九年一月八日及び同年二月八日に開催された東ア支援連の定例会、昭和五六年一〇月一七日に上原区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線は何を訴えているのか」と題する連続討論集会、同年一二月二二日に右同所において開催された東ア支援連主催の「三・七反弾圧集会第二回実行委員会」と題する集会及び昭和五七年一月一六日に開催された右「第三回実行委員会」と題する集会、同年一月八日に右同所において開催された東ア支援連の新年顔合わせ会、同月二三日に四谷公会堂において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線は何を訴えているか連続討論第七回集会」と題する集会、同年三月七日に右同所において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!三・七反弾圧集会〜六〇年代からの解放闘争の中でそれはどんな光を放ったのか〜」と題する集会、昭和五八年四月二四日に上原区民会館において開催された東ア支援連主催の「連続講座第三回集会」と題する集会、同年六月四日に早稲田奉仕園において開催された東ア支援連全国連絡会議(交流会)、同月五日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「六・五集会〜時間があるけど時間がない集会」と題する集会、同年一〇月一日に千代田公会堂において開催された東ア支援連主催の映画「鉛の時代」映写会、同月二九日に行われた「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!一〇・二九行動集会」と題する集会及びその後のデモ行進、同年一二月二一日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連主催の「年間総括会議」と題する集会、昭和五九年五月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「東ア支援連映画交流会」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、同月二四日に代々木八幡区民会館において開催された東ア支援連主催の「一〇・一〇実行委員会」と題する集会並びに昭和六一年四月六日に右同所において開催された「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会反省会」と題する集会に、それぞれ参加しているほか、昭和五六年一〇月一三日に、旧日本国有鉄道お茶の水駅前広場において原告番号6、同番号7らと共に、「『東アジア反日武装戦線は何を訴えているのか』連続討論集会第五回」と題するビラを配布し、昭和五七年三月六日に東京都小金井市本町六丁目において原告番号22と共に「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!〜六〇年代からの解放闘争の中でそれはどんな光を放ったか」と題するビラの配布を行った。

(48) 原告番号52

原告番号52の著書である「狼煙を見よ」には、昭和六〇年三月一九日に東京拘置所においてHと面会したこと及び同年九月二八日に京大会館において開催された支援連京都主催の集会で「東アジア反日武装戦線の戦いと私たちの現在」と題する講演を行ったことについての記載があり、また、同書には、「……東アジア反日武装戦線の兵士を釈放リストに載せたことは当然と思われるが、それがeとfの女性兵士二名のみであったことは意外な人選で日本赤軍最高幹部Tの意思ではないかと受けとめられた。……」、「……獄中へ書き送った書簡に『この部分のことは伏せたいと思います。アラブの戦線で活動しているeさん(とHは呼ぶ)の士気を阻喪させるようなことは、書くべきではないと思います』などという答が返されてくるとき、私は頭をかかえてしまうのだ。私が書こうとしているテーマは既に済んでしまったものではなく、アラブに根拠を置く日本赤軍の動向とも現時点ではかかわっているのだと気付かされるとき……」などとの記載があるほか、同原告は、昭和六二年三月二四日に、連続企業爆破事件を敢行した東アジア反日武装戦線に係る刑事事件の四名の被告人に対する上告審の判決公判当日に東ア支援連等が行った最高裁判所南門付近での「対最高裁包囲闘争」と題する抗議行動に参加している。

また、昭和五八年一〇月二一日にIに対する公正証書原本不実記載・同行使、有印私文書偽造・同行使の被疑事実によって東ア支援連事務所が捜索された際に押収された支援連ニュース発送用の住所シールには、「大分県中津市船場町原告番号52様方豊前火力絶対反対阻止環境権訴訟をすすめる会御中」との記載があり、昭和六二年一二月一六日に原告番号14宅から押収された封書中の「外国人のアピール協力依頼書」との記載のある名簿にも、「原告番号52」の記載があったほか、支援連ニュースの昭和五九年七月二〇日付(第三五号)、昭和六〇年一月一五日付(第四〇号)、同年六月五日付(第四四号)、同年六月三〇日付(第四五号)、同年一〇月一五日付(第四九号)、同年一二月二〇日付(第五一号)、昭和六一年九月二〇日付(第六〇号)、同年一〇月一五日付(第六一号)、昭和六二年一月二〇日付(第六四号)及び同年三月二七日付(第六六号)の各号に、原告番号52の投稿記事、同原告の出版に係る書籍紹介及び同原告の紹介記事が掲載されている。

(49) 原告番号53及び同54

① 原告番号53は、ペンネームを「原告番号53'」といい、昭和五〇年四月ころから本件捜索差押場所に居住していた。また、原告番号54は、ペンネームを「原告番号54'」といい、同年八月ころから、右同所に居住していた。

② 原告番号53は、昭和五七年八月一二日に大阪市所在のPLP会館において開催された「九月五日開催予定の『ハラハラ大集会』と題する集会に向けての第三回相談会」と題する集会に参加したほか、同年九月五日に大阪市内の三和会館において開催された右「ハラハラ大集会」と題する集会(前記原告番号6、原告番号22らが全国キャラバンの一環として開催した)を支援している。

また、原告番号53は、「九・五ハラハラ実行委員会(東アジア反日武装戦線に連帯し、あるいは、異同を超えて支持支援し、又は死刑重刑攻撃に反対し、その他野次馬でも何でもともかく関心をよせる者みんなの大連合)」と称する委員会の代表者となっている。右委員会は、東ア支援連が昭和五九年一〇月二九日の東アジア反日武装戦線に係る刑事事件の四名の被告人に対する控訴審判決公判に備えて結成した「一〇・二九行動実行委員会」と称する委員会結成の呼びかけ団体となっている。同原告は、そのほか、昭和五七年一一月五日に開催された右控訴審判決を受けての「一〇・二九控訴審公判報告集会」と題する集会において、「今後毎月第一日曜日の午後二時から『支援連ニュースを読む会』を開催し、『獄中四兵士(H、N、O、P)』の救援をして行く」と提案して「ニジの会」と称する会を結成し、以後東ア支援連と連帯する活動を行っている。

同原告は、また、昭和五九年二月二五日及び二六日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国交流会(合宿)に参加したのをはじめ、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年五月一九日に杉並区立公民館において開催された「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会、同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された対最高裁行動実行委員会主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会並びに昭和六一年四月六日に右同所において開催された「今こそ『虹作戦』について語ろう四・六集会」と題する集会に、それぞれ参加している。

③ 原告番号54は、昭和六一年一月一一日及び一二日に富坂セミナーハウスにおいて開催された東ア支援連全国会議(合宿)に参加したのをはじめ、右合宿終了後の最高裁判所下見行動、同年五月三一日及び同年六月一日に諏訪台福祉会館において開催された東ア支援連全国会議(合宿)並びに昭和六二年三月二四日の東アジア反日武装戦線に係る刑事事件の四名の被告人に対する上告審判決公判当日の公判傍聴闘争に、それぞれ参加している。

また、支援連ニュースの昭和五六年一〇月三〇日付(第七号)、昭和五七年一一月四日付(第一六号)、昭和五八年二月二五日付(第二〇号)、昭和五九年一〇月二五日付(第三八号)、昭和六〇年一月一五日付(第四〇号)、昭和六一年七月二〇日付(第五八号)、昭和六二年三月二七日(第六六号)及び同年七月二二日付(第七一号)の各号に、同原告のペンネームでの投稿記事や連絡先などが掲載されている。

④ 昭和五八年七月九日にIに対する爆発物取締罰則違反の被疑事実によって捜索された東ア支援連事務所において押収された支援連ニュース購読者名簿に「原告番号53' 大阪市阿倍野区〈住所略〉 一五〇部 東ア支援連関西連絡先、著述業 原告番号53」等との記載があった。

(50) 原告番号55

① 庚は、日本赤軍に合流したKが中心となって結成した日本赤軍の国内支援組織IRF・IC(世界革命戦線情報センター)の関係者であって、昭和五〇年一月二四日、東京国際空港国際線到着ビル前歩道上において公務執行妨害の被疑事実で逮捕されたが、その際押収された同人所有の電話帳に「原告番号55新宿区下落合〈住所略〉」との記載があった。

庚は、昭和四九年六月六日に、後に(昭和六一年五月)オランダのスキポール空港において爆発物所持の被疑事実で逮捕される辛と接触しているが、右辛は、昭和四九年六月当時、原告番号55が居住していた前記〈住所略〉に居住していた。

② 同原告は、昭和五〇年一一月二五日の被告人O及び同fに対する刑事事件の第一回公判開廷予定日の当日、東アジア反日武装戦線を救援する会が行った東京地方裁判所での傍聴闘争に参加したのをはじめ、昭和五四年八月二〇日に東京地方裁判所において開廷された東アジア反日武装戦線に係る刑事事件の四名の被告人に対する求刑公判、同年一一月一二日に開廷された右判決公判、昭和五六年七月三日に東京高等裁判所において開廷された右四名の被告人に対する第四回公判及び昭和五八年九月一二日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する第一一回公判の傍聴、昭和五〇年七月二〇日に千駄ケ谷区民会館において開催された「東アジア反日武装戦線に恐怖する権力の大弾圧を粉砕する集会」と題する集会、昭和五六年一月二四日に代々木八幡区民会館において開催された東アジア反日武装戦線を救援する会のQら主催の「死刑廃止討論集会」と題する集会、同年六月二〇日に代々木八幡区民会館において開催された「六・二〇反弾圧集会」と題する集会、同年七月二一日に東京拘置所面会所前及び正門前付近において行われた「八一年獄中獄外統一行動(集会、集中面会、デモ)」と題する抗議行動、昭和五七年三月七日に四谷公会堂において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!三・七反弾圧集会〜六〇年代からの解放闘争の中でそれはどんな光を放ったのか〜」と題する集会、同年九月四日に東京都勤労福祉会館において開催された「『彼らを殺すな』東アジア反日武装戦線への控訴審判決に反撃する九・四群衆集会」と題する集会、同年一一月三日に代々木八幡区民会館において開催された「一〇・二九行動実行委員会総括会議」と題する集会、昭和五九年二月八日及び同年一〇月三日に開催された東ア支援連の定例会、同年一一月四日に千駄ケ谷区民会館において開催された「爆裂弾伝説一一・四反爆取一〇〇年集会」と題する集会並びに昭和六〇年四月一二日に信濃町学生キリスト教友愛会館において開催された「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会実行委員会集会」と題する集会に、それぞれ参加している。

(51) 原告番号56、同57、同58、同59、同60、同61、同62及び同63

① 右原告らは、本件捜索場所である無我利道場に居住している。

② 無我利道場は、昭和五〇年八月、東亜燃料株式会社の石油備蓄精製工場建築計画(CTS建設計画)に反対するため、壬が中心となって設立された。その後、昭和五一年七月に無我利道場団結小屋、昭和五三年一〇月に無我利道場分家がそれぞれ設立され、昭和六二年八月にさらに別の同道場分家が設立された。

③ 無我利道場の居住者は、共同生活をしながら右CTS建設計画反対活動を続けていたが、東ア支援連の活動も活発に行っており、次のとおり、Iとも交流があった。

昭和五八年五月一七日に爆発物取締罰則違反被疑者として逮捕されたKは、取調べの際、逃走の足取りとして、次のように供述した。すなわち、Kは、昭和五三年四月下旬の土曜日か日曜日の昼ごろ、○○某の自宅で同人からIを「東京から来た乙さんです」と紹介された。IはKと癸に「奄美大島に無我利というところがあり、人目につかず安全である。私は企業爆破で手配されているJもやっている(隠避している)が、彼も一時無我利にいたことがある」などと奄美大島の無我利に行くように勧めた。Kは、同年六月八日にIと二人で神戸港から奄美大島に向け出発し、無我利道場に着いたが、その際には、ミオ(原告番号49)、ウルフ(原告番号58)、ポンコ(丑)の三人しか居らず、Iはミオに「やあ、しばらく」というようなことを言って三人にKを紹介した。しばらくしてポン(壬)が帰ってきたので、IがKを紹介したところ、既に自分のことを知っているらしく、特別な話はしなかった、ポンはIに「シゲル(J)は元気か」というような話をしており、二人の話の内容からIは何回かこの無我利道場に来ていて親しい間柄であると思った。以上のように供述した。また、昭和五八年九月二七日にKと共に爆発物取締罰則違反の被疑事実によって逮捕された壬も、取調べに対し、Iには、昭和五二年ころJと一緒に無我利道場に来ていたとき逢った、そのとき酒を飲みながら山谷闘争のことなど語り合ってから好人物であることが分かりその後二、三回逢っている、Kを無我利道場に連れてきたのはIであることを認めると「シゲル」のことまで調べが波及し、Iが再逮捕されるかも知れない、Iのことをしゃべったら当然法廷で対決しなければならないので心情としてIを売る気にはなれない旨供述している。

④ また、無我利道場の構成員と東ア支援連との関係は次のとおりである。

壬は、取調べの際、今回(昭和五三年九月八日ころ)上京した際マドンナ(原告番号6)のところでお世話になったが、マドンナは、「雨だれ式に捕まる」と嘆いていた、今回の状況でシゲルのほか、H、O、P及びdにも面会している、支援連の人たちと初めて知り合ったのは昭和五七年一月ころ四谷公会堂の集会でパネラーとして呼ばれたのが最初でそのときにマドンナを知りそれ以降つき合ってきた、マドンナの子供を預かっている、一年間の約束であったが、その後何も言ってこない、上の子は小学校六年生になって食事の手伝いをしてくれるなどと取調官と雑談している(原告番号6の長女は、昭和五七年夏ころから昭和六〇年春ころまでの間、次女は昭和五七年夏ころから昭和五九年春ころまでの間、それぞれ無我利道場に居住していた)。

壬は、昭和五七年に二回、昭和五九年に一五回、昭和六〇年に八回、東ア支援連の定例会に参加したほか、昭和五七年一月二三日に四谷公会堂において開催された東ア支援連主催の「東アジア反日武装戦線は何を訴えているのか―[共同性]について」と題する連続討論集会でパネラーとして参加したのをはじめ、同年三月七日に四谷公会堂において開催された「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな!三・七反弾圧集会〜六〇年代からの解放闘争の中でそれはどんな光を放ったのか〜」と題する集会、同年八月三日に名瀬市内の喫茶店「流音」において原告番号6らと共に開催した「東ア支援連全国キャラバン(反戦ギグ集会)」と題する集会、昭和五九年五月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された「東ア支援連映画交流会」と題する集会、同年六月四日及び同年九月二六日に信濃町学生キリスト教友愛会館において開催された反日論争委員会主催の学習会及び「一〇・一〇集会実行委員会」と題する集会、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃を許すな一〇・一〇集会」と題する集会、昭和六〇年三月九日に日本キリスト教会館において開催された「三・九Jくんへの無期攻撃を許すな!決起集会」と題する集会、同年三月一三日に東京地方裁判所において開廷された被告人Jに対する判決公判当日の裁判傍聴、その後の総括集会及び労音会館において開催された報告集会、同年五月一九日に杉並区立公民館において開催された「東アジア反日武装戦線一斉逮捕から一〇年、許すな!死刑・重刑攻撃五・一九反弾圧集会」と題する集会、その後のデモ行進及び高円寺会館において開催された反日論争委員会主催の「東アジア反日武装戦線一〇年目の光と影五・一九集会」と題する集会並びに同年一〇月二六日に千駄ケ谷区民会館において開催された東ア支援連等主催の「対最高裁行動実行委員会結成大会」と題する集会に、それぞれ参加している。

また、原告番号56は、東ア支援連の定例会に昭和五九年五月二日から同年一〇月三日までの間に合計六回参加したほか、同年一〇月一〇日に東京都勤労福祉会館において開催された「FREE TOKYO 5 東アジア反日武装戦線への死刑重刑攻撃を許すな!一〇・一〇集会」と題する集会に参加している。

原告番号58は、東ア支援連の定例会に昭和五九年四月二五日から同年五月二三日までの間に合計五回参加したほか、同年五月五日には、上野動物園入口において東ア支援連の活動家が行った「死刑・重刑攻撃」をテーマにしたぬいぐるみ人形による人形劇、ビラ配布等の情宣活動及び子供向けの寸劇に参加している。

支援連ニュースの昭和五七年一月一九日付(第九号)、同年二月二八日付(第一〇号)、同年六月二五日付(第一三号)、同年八月六日付(第一四号)、同年九月二七日付(第一五号)、同年一一月四日付(第一六号)、昭和五八年一〇月二六日付(第二七号)、昭和五九年一月一五日付(第二九号)、同年二月一五日付(第三〇号)、同年四月一五日付(第三二号)、同年五月一五日付(第三三号)、同年六月二〇日付(第三四号)、同年七月二〇日付(第三五号)及び昭和六二年三月一七日付(第六六号)の各号に前記壬など無我利道場の関係者の投稿文が掲載されている。

(52) 承継前亡原告X'64

昭和六二年一二月二六日に本件被疑事実によって原告番号14宅が捜索された際、押収された封書に在中の「外国へのアピール協力依頼者」名簿に、「卯新宿区大久保〈住所略〉との記載があった。右住所地には「株式会社○△」という名称の会社が存在し、その設立者は右卯となっているが、同社の実際の責任者は承継前亡原告X'64であり、右部屋の表示の下には紙片で「X'64(卯)辰」との表示があった。

また、支援連ニュースの昭和六二年四月二五日付(第六七号)に「名古屋4/19集会 死刑は嫌だ」と題し、「4月19日一〇〇名位の参加で『死刑は嫌だ!東アジア反日武装戦線を考えるつどい』が催されたのよ。主催はおなじみ東アジア未来史研究会。一時過ぎから始まって①まず、卯さんのお話。大阪弁での軽快な語り口調で……」と記載された記事が掲載されている。

3  本件各捜索差押場所に本件被疑事実に係る証拠が存在すると認められる状況の存否について

(一)  以上の認定事実によれば、A及びBは、日本赤軍の主要な構成員であり、日本赤軍は、昭和六二年当時、ソウルオリンピックに反対し、これを妨害しようとしていたこと、Aは、国内線及び国際線の航空券を所持し、何らかの活動を行おうとしていたこと、本件被疑事実に係る事件は、Aのみによる個人的な犯行ではなくて、日本赤軍の構成員及びこれに同調する者による組織的、かつ、計画的な犯行であったものと認められる。

(二)  また、前記認定事実によれば、連続企業爆破事件を敢行した東アジア反日武装戦線と日本赤軍は、それぞれの行動を相互に支持しているばかりか、日本赤軍の構成員が違法な手段をもって本邦において拘禁中の東アジア反日武装戦線の構成員を奪取し、その後東アジア反日武装戦線の構成員が日本赤軍のそれと行動を共にするなど、極めて密接な関係を有していること、東ア支援連及びその前身である「東アジア反日武装戦線を救援する会(KQ通信者)」と称する団体、「東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃粉砕、控訴審とたたかう支援連絡会議」と称する団体並びに三パ連が、連続企業爆破事件等の東アジア反日武装戦線や日本赤軍の行動を支持し、その構成員を支援し、本邦において拘禁中のその構成員及び日本赤軍と行動を共にしている者らと積極的に交流していること、本件原告ら(ただし後記原告番号16、原告番号43、原告番号44、原告番号47、原告番号52及び承継前亡原告X'64の六名を除く)は、日本赤軍の一員としてその作戦遂行の一部に直接関わっていた者であるか又は日本赤軍の構成員に接触したことがあった者であるか若しくは東ア支援連等の団体の催した東アジア反日武装戦線の支援のための集会やデモ行進等に多数回にわたり参加した者であることが認められる。

そして、右認定に係る本件原告ら(後記六名を除く)の東ア支援連等の団体への関与の状況からすれば、これらの原告は、いずれも、単に東ア支援連等の団体の関係した集会や実行したデモ行進等に一般人として参加していたとはいえず、積極的にこれらの活動に関与し、ひいては東ア支援連等の団体の中心的な活動家としてその組織及び行動に深く関わっていたものと認めるのが相当である。日本赤軍の構成員が本件被疑事実に係る犯行を行うには、本邦内にある支援者等の団体に関係する者が協力することが不可欠であると考えられるところ、日本赤軍及びそのメンバーと行動を共にしている者が所属している東アジア反日武装戦線の両団体と緊密な結びつきがある東ア支援連等の団体の関係者が、本件被疑事実に係る犯行について何らかの協力をしており、これら団体の中心的な活動家であり、あるいは積極的に活動をしていると認められる右原告らが、本件被疑事実に係る犯行に関わる証拠を所持していることは十分に考えられるところである。

以上のとおり、日本赤軍の構成員らによる組織的、計画的な犯行であると認められる本件被疑事実に係る事件について、その目的や背後関係、共犯関係等に関する証拠が、日本赤軍の構成員及びこれと密接な関係を有する東アジア反日武装戦線とその支援団体である前記各団体及びその積極的な活動家との間でやりとりされ、保管されている可能性が高いということができるから、これらの場所に右証拠が存在する蓋然性があるとする判断は相当であったというべきである。

(三)  これに対し、後記原告番号16、原告番号43、原告番号44、原告番号47、原告番号52及び承継前亡原告X'64の六名については、以下のとおり、いずれも、前記認定に係る事実を前提としても、本件被疑事実に係る犯行の当時及びこれに近接する時期に前記各団体の活動を積極的に行っていた者と認めるには足りず、右原告らの自宅に本件被疑事実に関する証拠が存在する蓋然性があったと認めることはできない。

(1) 原告番号16については、前記認定のとおり、昭和五七年にu宅の捜索をした際押収した同人の手帳に同原告の妻であるt(結婚前の姓名t')の名前及び電話番号が記載されていたことが認められるものの、右事実は、昭和五七年当時にt'とuとの間に交流があったことを示すにとどまり、たとえuが東ア支援連との関係を有するとしても(もっとも、右関係についても、本件証拠上、昭和四七年一〇月ころから昭和五五年六月ころまでの間についてしか明らかではなく、本件被疑事実に係る事件の発生時である昭和六二年後半より相当以前のことである)、t'が東ア支援連等の前記各団体との関係を示すものとまではいい難く、ましてや原告番号16が前記各団体の活動を積極的に行っていたものと認めることは到底できない。

(2) 原告番号43及び原告番号44

右原告らについては、前記認定のとおり、原告番号43が昭和四六年四月ころから昭和四七年六月ころまでの間東ア支援連の活動家である寅と交流があったこと、昭和五八年に東ア支援連事務所の捜索の際に押収された支援連ニュースの講読者名簿等の中に同原告の住所氏名の記載があったこと及び同原告が昭和五四年から昭和五五年にかけて京都地方裁判所でのいわゆる「新町会館爆破事件」に係る被告人j対する刑事事件の公判の傍聴をしたことが認められるが、支援連ニュースは東ア支援連の機関誌であり、全国に相当数の購読者がいるのであるから、その定期購読者であるからといってその事実のみで直ちにその者が東ア支援連の積極的な活動家であるということはできないし、同原告に関するその他の事実は、いずれも本件被疑事実に係る事件の発生時期からは相当以前のことであり、本件被疑事実に係る事件の前後において同原告が東ア支援連等の団体の積極的な活動家であったことを認めるには不十分であるといわざるを得ない。

また、原告番号44については、原告番号43と同居していることを除いては、これと東ア支援連等の団体とを結びつけるような事実は何ら認められない。

(3) 原告番号46については、前記認定のとおり、原告番号14宅に対して行った捜索差押の際に原告番号46差出しの手紙が押収され、その記載内容が東ア支援連の活動家であるSとの交流を示すものであったことが認められるものの、これのみによっては、同原告が東ア支援連等の団体の活動に積極的に関与していたとまで認めることはできない。

かえって、甲第三〇号証及び同原告の本人尋問の結果によれば、右手紙の記載内容は、昭和六〇年一〇月に牛込公会堂において開催された反原発集会の際に、Sが要請した、レーガン大統領に宛てた一万人のインディアンの居留地からの強制移住に反対する内容であったと考えられ、これらの事実によっては、原告番号46が東ア支援連等の団体の積極的な活動家であるとは認めることはできない。

(4) 原告番号52については、同原告と東ア支援連等の団体との関係は、前記認定のとおりであり、右認定事実によれば、同原告が、相当積極的に東ア支援連等の団体の活動に関与していることが認められる。

しかし、甲第四号証によれば、同原告は、ノンフィクションを主要な作品として数十点の著書を有する作家であること、Hとの交流は、同人が獄中から同原告の著書「豆腐屋の四季」に対する感想を書いた手紙を送ったことから始まったものであり、これをきっかけとして同原告が「狼煙を見よ」との題の文章を執筆したことが認められる。これらの事実を総合すれば、同原告と東アジア反日武装戦線の構成員や東ア支援連との関係は、主として同原告のジャーナリストとしての立場から生じたものであったと見ることができる。そして、前記認定に係る同原告の東ア支援連主催の集会での講演についても、同原告が東アジア反日武装戦線ないし東ア支援連の活動に共感を持って臨んでいたことを示す事実といえるとしても、それは同原告がジャーナリストとしての立場から参加したことを示すという事実を越えるものではない。

ジャーナリズムは、国民に対し、様々な事実を報道し、またこれに対して多様な論述を展開することにより、国民による政治的問題をはじめとする各種の判断、決定過程に寄与する機能を有するものであり、公権力がこれを不当に抑制することは、当該報道の担当者ひいてはその受益者である国民の憲法上の権利を侵害することにもなり、ひいては民主主義の根幹をも揺るがしかねないものであるから、厳に慎まなければならないというべきである。そして、そのようなジャーナリズムの取材対象は、場合によっては社会的に容認されていない集団に及ぶこともあり得るものであり、当該集団の活動の場に居合わせることも、そのような取材活動の一環として、起こり得るところであろう。そうすると、そのような取材行為だけをとらえて当該取材者が当該集団の構成員であるとか、その積極的、中心的な人物であるというように評価することはできないといわなければならない。もっとも、ジャーナリズムに名を借りた反社会的活動も十分に考えられるところであるから、本件において、原告番号52の行動が報道目的による取材活動の一環であるのか、あるいは取材活動とはおよそ評価できないような行為なのかどうかについて、具体的に検討しなければならないところ、同原告の行動がジャーナリストとしての側面を有するものであることは前記判示のとおりであり、同原告に関するその他の認定事実を総合してもなお、同原告が東ア支援連等の団体の積極的な活動家であると認めることは困難である。

(5) なお、甲第三三号証によれば、原告番号45も著述活動を行っていることが認められる。しかし、前記認定のとおり、同原告については、東アジア反日武装戦線の構成員であるPから依頼を受けて、東ア支援連の活動家であるSへ助力を申し出たという事実があり、これによれば、前記認定に係るPやSと日本赤軍ないし東アジア反日武装戦線との関係からすれば、同原告と日本赤軍ないしその支援団体との積極的な関係を否とすることは困難であると考えられ、原告番号52と同列に論ずることはできないというべきである。

(6) 承継前亡原告X'64については、前記認定事実によっても、支援連ニュースに卯なる人物が東アジア反日武装戦線に関する集会で講演をしているとの記事があること及びX'64が右卯なる人物と密接な関係を有することが認められるにとどまり、未だ卯なる人物とX'64とが同一人物であると認めるまでには足りないし、また、卯なる人物が講演したとの記事についても、このことから直ちに同人が東ア支援連等の団体の積極的な活動家であるとまで認定することは困難である。そして、X'64については、右乙第五二号証以外に同人と東ア支援連等の団体との関係を示す証拠はないから、同人が東ア支援連等の団体の積極的な活動家であると認めることは困難である。

(四)  以上の認定判断に対し、原告らは、①本件被疑事実は、被疑者本人が旅券事務所に旅券申請をして交付を受け、新東京国際空港においてこれを行使したというものであって、これら客観的外形的事実と原告らの住居等との間には関連性がない、②被告東京都は本件捜索差押に関し全国の多数箇所について同時に捜索差押許可状の請求をしているが、それぞれの場所に証拠物が存在する蓋然性はない、③市民団体はその会の趣旨に賛同する者であれば誰でも参加できるから、たまたま日本赤軍と関係のある者がその団体に参加していたとしても、その市民団体を日本赤軍と密接な関係を有する支援組織ということはできない、④東ア支援連については、死刑廃止の立場から関わっている者もいるのであって、これを日本赤軍の支援団体と見ることはできない、⑤原告らが集会や裁判傍聴に参加したことをもって本件被疑事実についての証拠物を所持していると考えるのは論理の飛躍であるなどと主張する。

(1)  原告らの右主張のうち、①については、前記判示のとおり、本件被疑事実に係る事件がAの個人的目的による単独の犯行によるものではなく、日本赤軍の構成員らによる組織的、計画的犯行であると判断するに足りる客観的な状況があり、また、原告ら(ただし、前記のとおりこれが認められない六名を除く。以下(1)から(4)までにおいて同じ)は、東ア支援連等の団体の活動家として、日本赤軍ないし東アジア反日武装戦線の構成員やその関係者らと交流があったと認められるのであるから、原告らの住居等に本件被疑事実の証拠物が存在する蓋然性がなかったとすることはできない。

(2)  ②については、確かに、本件被疑事実に係る犯行の背後関係や共犯関係等に関する証拠物が、本件各令状請求に係る捜索箇所全部に同時に存在するとは考えられない。しかし、前記認定のとおり、本件被疑事実に係る犯行が日本赤軍の構成員らによる組織的、計画なものであると認められたことやAが旅券の不正取得によって本邦に入国し複数の者と接触する予定であったこと等をみれば、それら本件犯行の動機、目的や共犯関係等についての物的証拠が存在する蓋然性は高く、それらが、原告らを含む本件捜索差押箇所のいずれか(複数箇所を含む)に存在すると認められる状況はあったと考えるのが相当である。原告らの主張に従えば、本件被疑事実に係る事件のように、各捜索場所のうちいずれかには証拠物が存在すると考えられるが、複数の場所のうちいずれにあるかは確定できないという場合には、各捜索場所についての捜索がおよそ許されないこととなり、証拠物の収集が著しく困難となる結果となって相当ではないし、また、順次捜索許可状を請求し、これを取得した上で、執行するとすれば、組織的な犯罪の場合には容易に証拠の隠滅が行われてしまうことになるからやはり相当ではなく、原告らの主張は採用できない。

(3)  ③及び④については、いわゆる市民団体が目的を共通とする様々な人間の集合体であって、その一部の者の参加者により当該団体の性格が決定されるものではないとの一般論自体についてはそのとおりであるとしても、本件における東ア支援連等の団体は、その目的が東アジア反日武装戦線等の構成員を支援するためのものであり、実際の組織としての行動もその目的に向けられていること、団体の中心的な人物が日本赤軍や東アジア反日武装戦線に密接に関わっている者であることに鑑みれば、これら団体が日本赤軍と密接な関係があると認めるのは当然である。また、東ア支援連に死刑廃止の立場からの参加者がいたとしても、それは、その者について日本赤軍との関係を検討する上で重要な意味を持つことは格別、これをもって東ア支援連と日本赤軍との密接な関係を否定することにはならないのであって、原告らの主張は採用できない。

(4)  ⑤については、東ア支援連等の団体の行事やこれらに関わる裁判傍聴に参加したり、機関誌を購読したりすることについて、単にたまたま少数回これを行ったからといって、その者がこれら団体の積極的な活動家であるということはできないから、そのような者については、日本赤軍と直接の関係を有し、本件被疑事実に関する証拠物を所持している可能性は低いものといわなければならない。しかし、これら団体の具体的な活動が集会、デモ行進の開催や裁判傍聴、機関誌の発行等であることからすれば、これらへの関与が多数回に及んだり、単なる一参加者としてではなく、その組織運営や各種行事等の運営など中心的な立場において活動していると認められるときには、通常その者はこれら団体の中心的な活動家であると考えられる。そして、これら団体が日本赤軍との密接な関係を有すると認められることについては前記認定のとおりであるから、そのような団体の中心的な活動家であれば本件被疑事実に関する証拠物を所持する蓋然性が高いというべきであって、原告らの主張は採用できない。

なお、原告らは、右集会の参加や裁判傍聴等が憲法上の権利であることを前提として、種々の主張をする。しかし、前記説示から明らかなとおり、本件被疑事実に関する証拠物の存在の蓋然性の判断は、多数回にわたる集会の参加や裁判傍聴等の事実をとらえて、東ア支援連等の団体と原告らの関係を判断したものにすぎず、何ら原告らの憲法上の権利を制限、侵害しようとするものではないから、原告らの右主張は失当である。

4  本件捜索差押の必要性について

(一) 前記認定によれば、本件被疑事実に係る事件は、日本赤軍による組織的、計画的犯行であると認めるに足りる状況があったこと、日本赤軍が過去にも多数回にわたり偽造旅券等を使用しており、ハイジャックなどの凶悪犯罪を敢行する際にもこれら偽造旅券等を使用していたと認められること、本件被疑事実に係る犯行については、旅券が不正に取得されており、日本赤軍のソウルオリンピック反対活動との関係があると認めるに足りる状況があったことが認められ、これらの事実を総合判断すれば、本件被疑事実に係る犯行について、犯行の動機、目的、共犯関係ないし背後関係について明らかにする必要があったものと認められる。

(二) この点について、原告らは、Aは本件各令状の請求前に起訴されており、本件被疑事実に係る事件の外形的な事実については既に十分明らかになっていたことに加え、起訴後の補充捜査が謙抑的に行うべきであることを考えれば、本件のような大量かつ画一的な捜索差押の必要性はなかったと主張する。

しかし、前記(一)のとおり、本件においては、その動機、目的、共犯関係ないし背後関係は未だ明らかになっておらず、日本赤軍の構成員らによる組織的な犯行としての側面の解明がなされていたとは到底いえないし、Aの刑事公判追行との関係においても、右事実は量刑等の判断に関する重要な事実であるから、これを明らかにする必要性は大きいものといわなければならず、原告らの主張は採用できない。

5  なお、原告らは、本件捜索差押は、原告らの行っている人権擁護活動など各種の市民活動の弾圧や嫌がらせのために行われたものであると主張する。

原告らの活動の具体的な内容についてはその主張及び証拠によっても、必ずしも明らかではないところ、捜査機関等の公権力が、合法的に活動している市民活動等を弾圧したり、これを抑制する目的で不利益処分を行ったりすることが許されないことは論を待たないところである。しかし、本件において、捜査機関が原告らの行っている市民活動を抑圧しようとするだけの理由は認められないし、また、本件各令状請求及びその執行が本件被疑事実に係る事件以外の目的、とりわけ、原告らの活動の監視や抑圧のために行われたと認めるに足りる証拠はないから、原告らの右主張は採用できない。

6  以上のとおり、原告らのうち、原告番号16、原告番号43、原告番号44、原告番号47、原告番号52及び承継前亡原告X'64の六名については、本件各令状請求当時において、客観的にみて、右原告らの住居に本件被疑事実に関する証拠物の存在を認めるに足りる状況があったとは認められないのであり、これらの場所に対して捜索差押許可状を請求した被告丁の行為は、刑事訴訟法所定の要件を欠くものであって、違法であるというべきであり、被告丁には右令状請求について過失があったと認められる。

他方、右六名以外の原告らに対する本件各令状請求は、いずれも本件被疑事実に関する証拠物が存在すると認めるに足りる状況があり、かつ、捜索差押の必要性があったということができ、適法なものであったと認められる。

二  争点2(本件各令状を発付したことが違法であるか否か)について

1  原告らは、被告乙及び被告丙による本件各令状の発付は、その要件を欠いているにもかかわらず発付されたものであり、故意又は重大な過失による違法な職務執行であると主張する。

2 しかし、裁判官がその権限の行使として行う判断作用は、裁判官によって常に同一の結論に帰結するとは限らず、別異の判断が示されることがあることは、個々の裁判官がその良心に従って判断を行うという性質上むしろ当然というべきであるから、ある判断がなされた後に、上級審や他の裁判官によってこれとは異なる判断が示されたとしても、その判断行為を直ちに違法であるということはできないのであって、当該裁判官が違法、不当な目的で敢えて特定の判断をするなど、その付与された権限の趣旨に明らかに反してこれを行使したなどの特段の事情がない限り、これを国家賠償法上違法と評価することはできないと解すべきである。

そして、本件各令状の発付行為についてこれを見るに、問題となっているのは、被告乙及び被告丙が本件各令状請求に対し刑事訴訟法上の捜索差押許可状発付の要件を満たしているかどうか、すなわち、請求者の提出した資料によって疎明されていると認められるかどうかについての法律適用上の判断に関するものであり、右被告らがその権限の趣旨に明らかに反してこれを行使した特段の事情を認めるに足りる主張及び立証はない。

3 これに対し、原告らは、右判示と異なる見解に立ってこれを論難するほか、右判示の見解は、対席構造及び不服申立ての手段が保障されている争訟の裁判においてのみ妥当するものであって、捜索差押令状の発付のように、捜査機関の一方的な申立てのみをもとにして判断され、また、事実上不服申立ての困難な判断行為については適用がないと主張する。

しかし、捜索差押令状の発付の可否についての判断も、前記のとおり、法律適用上の判断をなす点では裁判官固有の判断作用として争訟の裁判と変わるところはなく、前記のような特段の事情のない限りこれを違法と評価することはできないと解すべきであって、原告らの右主張は採用できない。

4  よって、その余の点について判断するまでもなく、本件各令状の発付行為に違法な点があるとは認められない。

三  争点3(本件各令状の執行の際警察官に違法な職務の執行があったか否か)について

1  被告東京都以外の地方公共団体に属する警察官による本件各令状の執行の違法をいう請求について

原告らは、被告東京都に対し、本件各令状の執行において警察官が違法な行為をしたとして損害の賠償を請求するのであるから、当該執行を行った警察官が被告東京都の地方公務員でない場合には、その警察官が属する地方公共団体に対し請求するのは格別、被告東京都に対して、そのような請求をすることのできないことは当然である。したがって、別紙捜索差押箇所番号2(原告番号2、埼玉県)、同4(原告番号4、神奈川県)、同7(原告番号7、千葉県)、同15(原告番号16、広島県)、同16(原告番号17、神奈川県)、同18(原告番号19、神奈川県)、同29(原告番号31、神奈川県)、同34(原告番号36、37、大阪府)、同40(原告番号43、44、京都府)、同42(原告番号46、長野県)、同48(原告番号52、大分県)、同49(原告番号53、54、大阪府)、同51から54まで(原告番号56から63まで、鹿児島県)の各場所における本件各令状の執行において警察官が違法な職務執行をしたことによる損害の賠償請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないこととなる。

2  令状の呈示の不十分

(一) 原告らのうち、原告番号1、3、6、8、10、11、15、18、24、26、28、38、40、41、42、47、48、50、55及び64の各原告は、捜査官が、本件各令状の執行に着手した際に、右原告ら本人又は立会人に対して行った令状の呈示が、手に持ったまま示しただけであったり、あるいは手に持ったまま読み上げただけであったりするなど、不十分であったと主張し、証拠(〈略〉)にはこれに沿う供述及び記載がある。

(二) しかし、他方、証拠(〈略〉)には、捜査官らは、右原告ら又はその立会人に対し、いずれも捜索差押許可状を交付して読ませたり、読み聞かせたりしているとする供述及び記載がある。

ところで、捜査官は、捜索差押許可状を執行する際、当該許可状を処分を受ける者に示さなければならないが(刑事訴訟法一一〇条、二二〇条)、右規定は、被処分者に令状の内容を知る機会を与え、もって捜索差押許可状の執行手続の公正さを担保するために定められたものと解されるところ、右呈示行為自体は被処分者に対し令状の記載事項を読ませたり、読み聞かせたりするという事務的な手続であり、平穏な状況下においては特段時間の要する手続ではないが、その一方、被処分者がその令状の内容を書き写したり、これを読むために不相応の時間を要求したりすることまでの権利を認めたものではないと解するのが相当である。したがって、令状の呈示行為が右の性質を有するものである以上、一般に捜査官が被処分者に対する令状呈示行為自体を省略したり、被処分者が内容を知り得ないほどの短時間しか示さないといった行動をとったりするというようなことは、捜査官らが本件においてことさらにそのようなことをしなければならないような事情があったとは何ら認められない以上、考え難いものといわなければならない。これに対し、何ら事前の通告もなく、その住居等の捜索を受け、これを違法として訴えを提起している原告らにおいては、その立場上、令状の呈示状況について、意識すると否とにかかわらず簡略に過ぎるあるいはこれがなかったなど必ずしも冷静に事実に即したものではない供述をすることもあり得ないではない。

そうすると、原告らの主張に沿う前記供述部分等のみでは、捜査官が刑事訴訟法の規定に反して、原告ら被処分者に対して令状の呈示を十分にしなかったと認めるには十分ではないといわざるを得ない。

なお、前記(一)の各証拠によれば、右原告らのうちの一部は、捜査官からの要求に対してドアを開けなかったり、ドアチェーンをかけたまま応対したりするなどしたため、捜査員の実力行使又は実力行使の警告後に初めて十分な令状の呈示を受けたことが認められるが、これらの場合において、令状の十分な呈示を受けられなかったのはむしろ右原告らの対応自体に問題があったといわざるを得ず、ドア越しの応対中に証拠隠滅が図られるおそれもあったことなどからすれば、捜査官らの右行動に違法な点があったとは認められない。

3  電話の受発信の禁止について

(一) 原告らのうち、原告番号3、5、6、9、12、13、15、18、20から23まで、25、26、29、32、34、35、39、41、48及び55の各原告は、捜査官が、同原告らに対する本件各令状の執行の際、原告ら又は立会人に対し、電話の受発信を強制的に禁止ないし制限したと主張し、証拠(〈略〉)にはこれに沿う供述及び記載がある。

(二) しかし、他方、証拠(〈略〉)には、右原告らにつき、いずれも、電話の受発信の事実がなかった旨の、あるいは電話の受発信をしないように申し向けたところ、原告らがこれに従ったものである旨の、原告らの前記主張及び証拠に反する供述及び記載がある。

これらを対比して考えると、前記のとおり原告らが必ずしも冷静に当時の事実を述べているかどうかは疑いをなしとしないといわざるを得ない。したがって、本件捜索実施中に電話の受発信があり、それが意に反して禁止され又は制限されたとの事実については、原告らの供述のほかに客観的にこれを裏付ける証拠がなく、原告らの供述には直ちに信を措き難い以上、これを認めること困難であるといわざるを得ない。

なお、原告らの右供述部分等によっても、原告らのうちの一部は捜査官から電話の受発信をしないように申し向けられた後においても、捜査官に要求して電話の受発信をし、あるいはこれを継続したというのであるから(原告番号34、原告番号43及び原告番号44)、捜査官が原告ら又は立会人に対して電話の受発信をしない旨申し向けたことがあったとしても、捜査官が強制的に電話を切ったり、脅迫的な言辞で受発信を禁止したとまで認めることはできず、不承不承ではあっても、原告らが任意に受発信を取り止めたものと見ることができるのである。

(三)(1)  これに対し、原告番号18の妻X'18については、同女が本件捜索実施中にいずれかに電話をして捜索について話し始めたので、捜査官が電話を止めるように同人に申し向けたが、従わないで話し続けたため、電話のフックを押して電話を切ったことがあったとの点について、被告東京都及び被告丁がこれを自認している。

(2)  捜索差押の際には、捜査官はその執行について必要な処分をすることができ(刑事訴訟法二二二条、一一一条一項)、また、当該捜索場所の出入りを禁止したり、これに従わない者を退去させたり監守者を付することができる(同法二二二条、一一二条)。前者の規定は、捜索や差押えの執行に際し、円滑で実効的な執行を確保するために、現場の執行担当者に必要な限度での処分権限を与えたものであり、後者の規定は、捜索差押の現場において第三者による無用の混乱を避け、円滑な執行を行うと共に、現場での証拠隠滅等を防止するため、現場の執行担当者に一定の権限を与えたものと解される。

同法一一二条の規定は、捜索差押場所の現場における第三者を対象とするものであり、その対象は明確であるが、これに対し、同法一一一条の規定は現場の執行担当者に「必要な処分」を許すものであり、その方法、態様については現場の執行担当者に一定の裁量を認めているものということができる(同条は「錠をはずし、封を開」くことを例示し、捜索差押を物理的に可能にするための処分について規定しているが、右の「必要な処分」はこのような目的に限定されると解する必要はなく、捜索差押の円滑な執行のために他の必要な処分を行うことも同条によって可能と解される)。しかし、右規定も必要ならばいかなる処分をもなし得ることを認めたものとは到底いえないのであって、執行の目的を達するため必要であり、かつ社会的にも相当と認められるような態様・程度の処分に限られるというべきである。

(3)  そこで、右「必要な処分」として電話の受発信の禁止ないし制限を行い得るかどうかを検討すると、立会人その他の者が捜索差押の際に電話の受発信を行うと、関係者を当該現場に呼び寄せて、捜索差押の妨害をしたり、一定の圧力をかけたりするおそれのあることが考えられるが、一般的に、捜索差押は相当数の執行担当者が当該現場で執行に当たるものであるから、立会人らがその際に積極的に証拠物の隠滅を行うことは事実上不可能であるし、同法一一二条により、立会人以外の者は執行担当者の判断で当該現場から退去させることもできるのであるから、電話により証拠物の隠滅が図られる可能性があるからといって、その受発信を禁止することまで必要であるということはできない。

また、当該場所における捜索差押は、あくまで同許可状に記載された場所について強制的な処分権を認めたものであって、それ以外の場所に対して何らかの強制的な捜査権限を認めたものではない以上、遠隔地の者と通謀して相手方所在地など当該令状記載の場所以外における証拠物件の隠滅の防止を当該令状に基づく必要な処分として行うことはできないというべきである。

そして、そもそも、当該現場の立会人その他の関係者は、捜索実施中、当該現場にいることを強制されるわけではなく、当該現場の外から右の趣旨の電話をかけることや携帯電話にかかってきた電話を直ちに当該現場から離れて受信することを当該捜索差押の必要な処分として禁止、制限することはできないのであるから、当該現場で電話の受発信を禁止ないし制限してもその実効性は乏しいといわざるを得ないのであって、これを認める必要があるということはできないというべきである。

さらに、右関係者の呼び寄せ行為などを理由として電話の受発信を禁止するとすれば、その性質上、いかなる電話の受発信も禁止しうることになるが、これは、右に検討した受発信の禁止ないし制限の必要性に比べて被処分者の不利益が大きく、社会的に見て相当であるということはできない(被処分者が弁護士に電話をしたいと申し出たにもかかわらず、これさえも禁止できるとするのはいかにも不相当である)。

(4)  以上の判断を前提とすれば、捜査官がX'18に対して電話を禁止した行為は、法律上の根拠なくして被処分者たるX'18に対して強制的に不利益な処分を行ったものであり、違法な処分であり、捜査官には、右処分を行うにつき過失があったというべきである。

(5) もっとも、X'18に対して行われた違法な行為によっては、同人に損害を与えたことはあるとしても、原告番号18について、その権利を侵害し又は損害を与える余地はないものというべきである。

したがって、原告番号18との関係においては、捜査官の右行為が違法であるとか、その権利を侵害したとか認めることはできないことになる。

(四) 以上によれば、原告らの主張する電話の受発信の禁止行為について、本件被告らに責任を問うことは困難である。

4  警察官による写真撮影について

(一) 原告らは、本件捜索差押に際し、捜査官がことさらに原告らの容貌や自宅の写真を撮影したとし、これは原告らの諸活動を監視する行為であり、プライバシーの権利を侵害したものであると主張する。

(二) 捜索差押許可状を執行する捜査機関が、後にその執行方法の適法性や、差し押えた物の所在場所等が争われる場合に備え、その執行の状況を写真に撮影することは、その撮影の回数や対象がその目的に照らし、必要最小限のものであって、ことさらに捜索対象住居等の秘密を暴露したり、居住者等のプライバシーを侵したりするものでない限り、捜索差押にともなう必要な処分としてその適法性を肯定すべきである。このことは、その撮影において、偶々被撮影者の容貌が被写体となったことがあったとしても、異なるところはないといわなければならない。

(三) 本件捜索差押の際の写真撮影についてこれを見るに、捜索差押許可状を示している状況を撮影した際に、これを示した相手方の容貌が撮影されたこと及び捜索をした場所や、証拠物を押収した場所などが撮影されたことが認められる。しかし、捜索差押許可状を示す情景の撮影には、これを示した相手方を、その容貌を含め、被写体の一部とせざるを得ないし、場所の捜索や、そこにある物の押収の状況を撮影するには、その場所を被写体とせざるを得ない。本件において、そのような必要性を越えて、ことさら、捜索対象住居等の秘密を暴露したり、居住者等のプライバシーを侵害したりするような写真撮影が行われたとの事実を認めるべき証拠はない。

(四) 以上によれば、本件捜索差押の際行われた写真撮影について、原告ら主張のような違法の点を見出すことはできないといわざるを得ない。

5  立会権の侵害

(一) 原告らのうち、原告番号3、9、13、21から23まで、27から29まで、38から42まで、48、50の各原告らは、捜査官が同時に複数の部屋の捜索を行ったため、立会権を侵害されたと主張し、証拠(〈略〉)にはこれに沿う供述及び記載がある(なお、原告番号9については、そもそもその主張事実に沿う証拠がないから、右主張事実は認められない)。

(二) しかし、他方、証拠(〈略〉)には、右原告らの自宅等に対する捜索差押については、部屋ごとに順次捜索に着手しており、複数の部屋を同時に捜索した場合があっても、これらの部屋は通し間のようになった構造であったから、立会人の監視が及ばなかったことはない旨の供述及び記載がある。これらを対比して考えると、原告らの前記供述は、必ずしも直ちに信を措くことができるものではなく、他に、立会人の監視が実質的に及ばないような態様で執行が行われたという事実の裏付けとなるような証拠がない以上、原告らの前記主張事実を認めることは困難である。

(三) また、原告らの一部は、原告ら自身が立ち会えなかったとして批判するが、前記(二)の各証拠によれば、捜査官は、いずれの捜索場所においても、然るべき関係者を立会人として得ていたことが認められるから、何ら違法な点はない。

(四) よって、原告らの主張は採用できない。

6  捜査官らの暴言と威迫的態度について

(一) 原告らのうち、原告番号3、5、6、11から13まで、18、20から27まで、30、32、35、38、40から42まで、45、49及び50の各原告らは、捜査官から威迫的態度をとられたり、強迫を受けたり、不法な実力行使を受けたりしたと主張し、証拠(〈略〉)にはこれに沿う供述及び記載がある。

(二)(1) 右原告らのうち、原告番号6、同20、同24、同27、同38、同41、同42、同43、同44、同49及び同50については、捜索差押の開始の際、捜査官がドア以外のところから侵入したり、ドアを破ったり、あるいはドアを激しく叩いたり、大声を出したりしたことを問題とするものであるが、右原告らは、捜査官からドアを開けるように指示されたときにこれに従わず、その後もしばらくの間捜査官の要求を拒否していたのであり、捜査官が捜索差押の執行を行うため又は証拠隠滅等を防止するため、一定の実力を行使したり、実力行使の警告をしたりすることは、捜索差押の付随的処分として認められるものであり、本件においても、同原告らに対する行為は、その必要な範囲を越えるものとはいい難い。

(2) また、右原告らの主張のうち、原告番号3、同12、同13、同23、同24及び同32については、捜査官らによる電話の受発信の禁止及びその態様を問題とするものであるところ、前記のとおり、違法な点があったと認めることはできない。

右原告らのその余の主張についても、証拠(〈略〉)にはそのような事実がない旨の供述及び記載があり、これに照らせば、原告らの各供述は直ちに信を措き難いという他はなく、他に原告らの主張事実を裏付けるような証拠がない以上、原告らの右主張事実を認めることは困難である。

(3) なお、捜査官が、原告番号45に対する捜索の実施中に、手紙や文書等を見て同原告に「幅広い交際ですね」と述べるなどして、交友関係について質問をしたことは、被告東京都及び被告丁の自認するところである(「天皇制はどうですか」と述べて思想調査をした事実については、証拠(〈略〉)にはこれに沿う部分があるものの、証拠(証人卯)にはこれに反する部分があり、これを対比すれば、これに沿う証拠には信を措き難く、他に裏付けがない以上その事実を認めることは困難である)。

しかし、本件証拠上、右質問は、取調べとして行われたり、回答を強制したりする趣旨で行われたものではないと認められるから、これによれば、右質問行為が、同原告に対する違法な公権力の行使にあたることになるものではない。

(三) 以上によれば、本件捜索差押に際し、捜査官らにつき違法と評価し得るような言動及び態度があったと認めることはできない。

7  したがって、本件各令状の執行にあたり、捜査官に違法な公権力の行使があったと認めることはできない。

四  争点4(本件各令状による差押えが違法であるか否か)について

1 捜索差押許可状の執行においては、当該令状に記載された物件以外の物の差押えは許されないところ、当該差押えに際して、発見された物品が右差押えを許可された物の範囲に含まれるか否かの判断については、当該捜索差押現場において差押えを担当する捜査官に一定範囲での裁量が認められるものと解される。

本件各令状のように「差し押さえるべき物」が、各種の物件を項目ごとに分類して記載されている場合、右裁量権は、項目ごとに分けられた物品に該当するか否かについての判断と共に、これら項目ごとに分けられた物品についてさらに限定を加える「本件に関係ありと認められる」か否かの判断についても及ぶものと解される。

そして、捜索により発見された物件が、当該被疑事実に関係のある場合であるか否かの判断は、捜索差押現場において、捜査官が短時間にしなければならないものであること、本件のように被疑事実の動機、目的や共犯関係等を解明するための証拠物にあたるかどうかは、後日当該物件の内容等について詳細に分析しなければ判明しない性質のものであることからすれば、本件被疑事実に関係しないことが一見して明らかであるような場合にはこれを押収することは許されないものの、後日の分析と検討を待たなければ本件被疑事実との関係が明らかにならないようなものについては、当該捜索差押現場において右関係のあるものと認定して差押えをしたとしても、これをもって違法な差押えがなされたと評価することができるものではない。

2  これを本件についてみると、証拠(〈略〉)によれば、本件について原告らから押収した物件は、別紙押収物内容一覧表記載のとおりの物件であることが認められるが、これらは、いずれも本件各令状の「差し押さえるべき物」の項目分けされた物件に該当することは明らかである。

3  次に、本件における差押物件と本件被疑事実との関連性について、検討する。

(一) 住所録及び名簿については、前記認定のとおり、原告らと日本赤軍ないし東アジア反日武装戦線との間に何らかの関係があると考えられるような状況においては、本件被疑事実に係る犯行における協力関係を明らかにするものである可能性があるから、これと関連性がないということはできない。また、当該捜索差押場所に存在した捜索差押許可状の被処分者以外の親族及び同居人の住所録や名簿についても、同人らが原告らに比して本件被疑事実に関する証拠物を所持している可能性が低いということはできず(そもそも、捜索許可状の被処分者は当該場所の管理権者を記載すべきものであるから、証拠物を所持していると思料される者と一致するとは限らない)、また、他人名義の住所録等を利用している場合も考えられるのであるから、それら住所録や名簿が本件被疑事実と関連する可能性がないと断ずることはできない。

(二) 手紙及び葉書についても、前記(一)と同様であり、本件被疑事実との関連性をおよそ否定することができるものではない。

なお、右住所録、名簿、手紙及び葉書の押収がプライバシーの侵害に当たるとする原告らの主張は、これらの差押えが適法に行われている以上、その前提を欠くものであって、採用できない。

(三) 雑誌についても、本件において押収されたものは、いずれも東ア支援連等の団体が発行するものであり、その内容を詳細に分析することにより、本件被疑事実に係る犯行の動機や目的、背後関係が明らかになる可能性もあるから、およそ直接関係のないものであるということはできない。

また、これらの雑誌が通常大量に配布されており、容易に入手できるものであるとしても、書き込み等の存在の有無など、当該押収に係る雑誌について検討する必要はあるのであるから、直ちに差押えの必要性がないものということはできない。

なお、雑誌に対する安易な捜索差押が憲法上保障されている思想良心の自由や表現の自由などの人権を侵害するものとする原告らの主張は、本件差押えが適法なものである以上、その前提を欠くものであるし、本件差押えは捜索場所に存在している雑誌についてなされたものであるから、これによって憲法上の諸権利が侵害されたと認めることはできない。

(四) ビラ及びパンフレットは、東ア支援連等の団体が開催した集会等に関するものやその主義主張を表明する内容のものであるが、これらはそれらの団体と日本赤軍や東アジア反日武装戦線との関係を明らかにする資料として、本件被疑事実に係る犯行の目的や背後関係等に関する証拠資料となり得ることも十分に考えられるところ、当該ビラやパンフレットと本件被疑事実との関係の有無を判断するためにはその記載内容について十分な分析と検討を要するのであり、当該現場においてこれを直ちに判断することは困難であることからしても、これらの物件が本件被疑事実と関係のないことが一見して明らかであったということはできない。

なお、原告らは、これらのビラやパンフレットは、誰でも入手し得るし、積極的に希望しなくても渡されるものであって、これら物件を所持していることだけをもって捜索差押を許すことは不当であると主張するが、本件捜索差押については、具体的に、原告らが東ア支援連等の団体の積極的な活動家であることを認めるに足りる事実があるか否かによってその可否を判断しているものであって、およそいかなる者であってもこれらビラやパンフレットを所持している可能性があるという理由だけから本件被疑事実に関する証拠物の存在することを認めるに足りる状況の存在を肯定したものではないから、原告らの右主張は採用できない。

(五) フロッピーディスクが証拠価値を有するのは、これに記録されている内容であるが、その性質上、フロッピーディスクに記録されている内容を感得するためには、所定の機器によってその内容を読み出す必要がある。そして、捜索差押現場においてこれら記録内容をいちいち読み出し、その内容を吟味して被疑事実との関係を判別することは困難であり、捜索差押に要する時間が長時間にわたってしまうおそれがあること、また、一般の書類と同様、被疑事実との関係を吟味するためには、その記載内容等を十分に分析し、検討する必要があるところ、これを捜索差押現場において直ちに行うことは困難であることなどからすると、本件において押収されたフロッピーディスクが本件被疑事実と関係のないことが一見して明らかであったとすることはできない以上、フロッピーディスクに、対する差押えが違法であったとすることはできない。

4  以上によれば、原告らに対する本件差押えは、いずれも、本件各令状が定める差し押さえるべき物の範囲内にあたらない物を差し押さえたとすることはできないのであって、これら差押行為が違法な公権力の行使であると認めることはできない。

五  争点5(本件各令状を請求し、又はこれを発付した公務員の個人責任の有無)について

1  原告らは、本件捜索差押において被告国及び被告東京都に対し、国家賠償法に基づく損害賠償請求をすると共に、本件各令状を請求し、発付した被告丁、被告乙及び被告丙の各個人に対し、民法上の不法行為に基づく損害賠償を請求している。

2 公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員が、その職務を行うについて故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合、国又は公共団体は国家賠償法一条一項によりその損害の賠償をする責任を負うが、これと共に、当該公務員個人が不法行為による損害賠償責任を負うか否かについては、そもそも国家賠償法が、旧憲法下での国家無答責の原則を変更し、一般的に国又は公共団体が損害賠償責任を負う旨を定めたものであり、現行憲法及び国家賠償法のもとにおいても民法上の損害賠償責任とは別個にその責任を認めたものであること、国家賠償法一条一項は「国又は公共団体が」と規定しており、文理解釈上、同法に基づく損害賠償義務は、国又は公共団体のみが負うことを明らかにしたものと解されることに照らせば、法は、当該公務員が職権を濫用して公権力を行使した場合など特段の事情のない限り、原則としてこれを否定していると解するのが相当である。

原告らの主張は、右と異なる見解に立つものであって、採用できない。

なお、原告らは、公務員の個人責任を認めないとするならば、民間企業の業務執行の際に被用者が故意又は過失によって他人に損害を与えた場合には、当該企業と共に被用者自身の個人責任も追及され得ることに照らし、不合理な差別的取扱いで、憲法一四条に反すると主張する。

しかし、そもそも本件捜索差押のような権力的作用に従事する公務員を民間企業のそれと同様に取り扱うことはできないといわざるを得ないし、原告らは、本件請求によって被告国又は被告東京都からは損害賠償を受けることができるのであるから、そのように解しても原告らにとって何ら不利益になるものではない。以上のとおり原告らの主張はこれを採用することができないのである。

3  そして、本件では、被告乙及び被告丙による本件各令状の発付行為については、前記のとおり、違法とは認められないから、同被告らの個人責任は、その余の点について判断するまでもなく認められない。

これに対し、被告丁のなした本件各令状の請求行為の一部には、前記のとおり、違法な点のあることが認められるものの、本件において、同被告がその職権を濫用して本件各令状請求をしたことなど、特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

よって、被告丁、被告乙及び被告丙個人に対する各損害賠償請求は、これを認める余地がない。

六  損害について

原告番号16、原告番号43、原告番号44、原告番号47、原告番号52及び承継前亡原告X'64の六名は、前記のとおり、各自宅に対する違法な本件各令状の請求行為によって発付された令状によって、それぞれの自宅を意に反して捜索されたものであり、これらの違法な行為により、右原告らの住居の静穏やプライバシーが侵害され、もって、精神的損害を被ったものである。

そして、本件では、右原告らの精神的損害を慰謝するには、右原告らそれぞれにつき各一〇万円を支払うことをもって相当とする。

七  よって、原告らの請求は、原告番号16、原告番号43、原告番号44、原告番号47、原告番号52及び亡X'64訴訟承継人原告X'64それぞれが被告東京都に対し、各一〇万円及びこれに対する右原告らに対する本件各捜索差押後である昭和六三年一月三一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれらを認容し、右原告らのその余の請求及びその余の原告らの各請求はいずれも理由がないのでこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言及び免脱宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中込秀樹 裁判官安浪亮介 裁判官小野寺真也)

別紙捜索差押箇所目録〈省略〉

別紙押収物一覧表〈省略〉

別紙押収物内容一覧表〈省略〉

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